1: ヒッチハイク ベルリン
1: ベルリン
ストック市内から地下鉄で郊外のハイウェイに着いた。
バックパックのヒッチハイカーがいた。
「へい、どこ行くんだい?南に下んだろ。
僕、イタリア、アンジェロ。アンジーと呼んでくれ。
あんた、チーノ(中国人)?」
あご髭を生やし、年食った感じの、俺と同じ背格好の青年だ。
「耕二、ジャパニーズ、アムスに向かってる」
「方角は大体同じだな。
トリノに帰るとこなんだ。
毎年、伯父貴に会いに来てんだ」
「毎年ヒッチで?」
「5,6年、友達もやってる。
記録は5日、1週間あれば楽勝さ」
「何歳?」
「18」
老けた顔だ。13からヒッチ?
走り去る車に、あっかんべー、をしている。
世界共通だ。
「ここから協力してこぜ。道路で見かけたらドライバーに頼むんだ。
“お!友達だ、あいつ病気なんだよ。乗っけてってくれ””これでOK。
もう一つ、こっちは面白いよ。
先に着いた方が勝ち、ってのやらない?
僕は遠回りになってもいいからゴールはあんたが決めていい。
おお、、、もち!金賭けるぜ、どう?」
「いくら?」
「原則は50$なんだ、、、、」
20m先でクラクションが鳴った。
アンジーは知らん振りして俺の答えを待っている。
車は走り去った。
「10なら」
アンジーはやる気を無くしたようだ。
吹き飛ばされまいと不揃いのあご髭にしがみついたパン屑が、風に玩ばれ心細げに揺れている、今の俺のようだった。
「ユースのカード持ってる?」
「あるよ?」
「このゲーム、ユースに泊まるのが原則、身元確認」
こうしている間、アンジーは2台の車に肘鉄を食らわした。
一台の車が30m先で止まった。
アンジーが走った。
「ヤパンスカ・コジ、行くぜ!
今日、よく行ってハンブルグだ!
レーパバン(歓楽街)近くのユースだぜ!」
パン屑はしがみつけなかった、宙に消えいった。
20m先で急ブレーキの音がした。
日の丸ワッペンを貼りつけた登山リュックを荒々しく掴んで走った。
記念の最初の車だ!ボルボだった。
「アムスに行くところです!
もし南に下るんならどこでもかまいません!
乗せてください!」
「そんな遠くまで行かないよ。
ヨンコピングでよかったら乗りなよ」
勢いよく乗り込んだ車内の空気は居心地が悪かった。
喧嘩の真っ只中だ。3時間、奥方はくしゃみを3回、旦那は一言も発しなかった。
次の車でバサまで行き、そこの公園で寝袋におさまった。
翌日の昼過ぎ、マルモ、フェリーでコペンハーゲン、
その日は市内の公園だ。
ストックを出て、4日目の昼前、リューベック郊外の港に着いた。
弾む心でドイツに入った。
15人以上のヒッチハイカーが道路脇100m挟んで生活していた。
洗濯物がはためいている。
俺の船からあらたに20人余りが加わった、もう部落だ。
最終フェリーが午後2時、諦めた。
アンジーが10番目に座っていた。
「遅かったね。何番」
「35、6番かな」
「一日、25人がいいとこ。明日も難しいね」
ここで野宿する気はなかった。
「歩いてく。かったるくなったらバスに乗る。
ヒッチどうだった?会わなかったね」
「ヨーテボリさ。遠回りしたよ。
でも、ヘルシンボルグ、マルモ、あとはすいすいさ」
アンジーはストックより元気になっていた。
再会を約束して別れた。
そこから始まる一本道を歩き出した。
どのくらい歩いたのだろう。
遠くに教会のとんがり屋根が見える。
後ろでクラクションが鳴った。
最後のフェリーが着いたようだ。
すぐ横で声がした。
「ヤパンスカ・コジ!!
運転手さん、すごくやさしい人!!!
気が変わらないうちに早く乗れ!」
思わず、くすっ、と来た。
中型ベンツの前席に50代のカップル、後部座席にアンジーと二人の子供が荷物を胸に抱きかかえて座っている。
どこにも入り込む余地はなかった。丁重に断った。
運転席からおじさんが降りてきた。
窓越しに子供の荷物を取って無理矢理トランクに押し込んだ。
イタリア人の髭面のウィンクに、また、くすっ、と来た。
アンジーの肩越しに四つの目が俺を見ていた。
女の子だ。
小さなこぶしが伸びてきた。
俺の手のひらにキャンディが落ちた。
とろけるような甘さだった。
リューベックの駅前で彼等と別れた。
アンジーに10$渡した。
熱いシャワー求めてレーパーバンのユースに向かった。
アムステルダム駅近くのホテルで、チャック・ウォードはロバート・スコットに会った。
最後に会って4年が経っていた。
ロバートに昔の面影はなかった。
「ロバート、変わったな?
餓鬼から大人に変身したってとこか?」
話せなかった。涙声になるだけだ。
ベトナム、父・母の死、兄キース、メグ、この1年余り、何が起きたのか理解できないでいた。
「写真はメグの所だ。
覚えているか、キースのお気に入り、MilesのSixtetのアルバム?
そのレコードに貼り付けた、俺のところには隠すとこがないんでな」
「メグは?」
「元気になった、、も少しだな」
「家に行った?」
「ああ、行ってきたよ」
「、、、、、、、、、、、、」
「ロバート、写真のネガを100万で取引しないか。
お前は当分、国に戻れん。上層部が絡んでいたら長丁場になる。
金が必要だ」
どうしたらいいのか分からなかった。
元NATO情報部にいたチャックに相談した。
25離れた兄、キースの朝鮮戦争時代の戦友だった。
サンタフェの実家とチャックの故郷、テキサス、ラボックはそんなに離れていなかった。
帰省すると、いつも軍服姿で土産を持って立ち寄った。
兄、キース以上に親しい仲だった。
「大佐に写真を送って取引場所を告げる。それだけだ。
おまえは殺したいようだが俺は遠慮したい」
二日後、ベルリンに向かった。
結局、アンジーは現れなかった。
夜遅く、60半ばのハンスさんの車でベルリンに入った。
ライプチヒからの出張帰りでラジオ局の仕事をしている、と言った。
「この時間ユースは閉まっている。
私の家に泊まりなさい。
明日、送ってあげる」
途中、テイクアウトの店に寄った。
チキンバーベキュー、サラダ,ワインを手に戻ってきた。
いきなり、エンゲルベルト・フンバーティングの曲が流れた。
家族は誰もいない、不安になった。
おかま、だろう?野宿したほうが、、、、。
0時半を過ぎていた、見知らぬ地をさまよう気力はなかった。
チキンのこおばしいにおいがする。腹とハミングした。しきりにワインを勧められた。
飲めないと断った。
ハンスさんは饒舌になった。
話は重かった、相槌も返せない。
酔いも回ってきたようだ。
英語で話していたのが、いつのまにかドイツ語に、俺の存在に気づいてまた戻った。
時折、スラブ語が入ってくる。
飲めないのに、グラスを手にしていた。
ハンスさんはハンガリー系ユダヤ人でトレブリンカ強制収容所の生き残りだった。
「1942年、11月9日、 7時22分。
兵隊だ!10人。
デボラ、エステ、アニー、、、、スーザン、彼等は別々に連れて行こうとした、
私は抗議した、、、何度も殴り倒された。
抗議した、、
父と母がトラックに乗っていた。
目が、、合った、、、、、
さよなら、、、してる。
父の歳を越してしまった。
もう生きる気力も執着心もとっくに萎えて、、
時間だけが、過ぎていった、
どこかで生きている、
どこかで、、、、
、、、
わかったんだ。
もう会えないんだ、
もう、、、会えないのはわかったんだ」
テイクアウト容器の上に酔い潰れていた。
笑みを浮かべていた。
幸せだった頃の、明日を信じていた頃の家族といた。
白んでくる外をカーテン越しに眺めていた。
微かに居間から聞こえてくるエンゲルベルト・フンバーティングのレコード盤上で迷走している針の音が、ハンスさん家族のすすり泣きに聞こえた。
ベルリンの町は活気がなかった。
すぐ間近に見える壁の存在がすべての明日を閉じ込めていた。
空を見上げては壁から伸びる放物線を想像して気が滅入った。
ジャンプすると、頭をしたたか打ち、走ると、壁にぶつかるような感覚が俺をがんじがらめにした。壁に沿って歩くか、後退りするしかなかった。
圧力に押し潰されそうだ。壁がなくならないとベルリンは前に進めないと感じた。
ハンスさんがアウトバーン入り口まで送ってくれた。
俺の前では快活に振舞っていたが痛みを堪えている姿を何度か目にした。
ストック市内から地下鉄で郊外のハイウェイに着いた。
バックパックのヒッチハイカーがいた。
「へい、どこ行くんだい?南に下んだろ。
僕、イタリア、アンジェロ。アンジーと呼んでくれ。
あんた、チーノ(中国人)?」
あご髭を生やし、年食った感じの、俺と同じ背格好の青年だ。
「耕二、ジャパニーズ、アムスに向かってる」
「方角は大体同じだな。
トリノに帰るとこなんだ。
毎年、伯父貴に会いに来てんだ」
「毎年ヒッチで?」
「5,6年、友達もやってる。
記録は5日、1週間あれば楽勝さ」
「何歳?」
「18」
老けた顔だ。13からヒッチ?
走り去る車に、あっかんべー、をしている。
世界共通だ。
「ここから協力してこぜ。道路で見かけたらドライバーに頼むんだ。
“お!友達だ、あいつ病気なんだよ。乗っけてってくれ””これでOK。
もう一つ、こっちは面白いよ。
先に着いた方が勝ち、ってのやらない?
僕は遠回りになってもいいからゴールはあんたが決めていい。
おお、、、もち!金賭けるぜ、どう?」
「いくら?」
「原則は50$なんだ、、、、」
20m先でクラクションが鳴った。
アンジーは知らん振りして俺の答えを待っている。
車は走り去った。
「10なら」
アンジーはやる気を無くしたようだ。
吹き飛ばされまいと不揃いのあご髭にしがみついたパン屑が、風に玩ばれ心細げに揺れている、今の俺のようだった。
「ユースのカード持ってる?」
「あるよ?」
「このゲーム、ユースに泊まるのが原則、身元確認」
こうしている間、アンジーは2台の車に肘鉄を食らわした。
一台の車が30m先で止まった。
アンジーが走った。
「ヤパンスカ・コジ、行くぜ!
今日、よく行ってハンブルグだ!
レーパバン(歓楽街)近くのユースだぜ!」
パン屑はしがみつけなかった、宙に消えいった。
20m先で急ブレーキの音がした。
日の丸ワッペンを貼りつけた登山リュックを荒々しく掴んで走った。
記念の最初の車だ!ボルボだった。
「アムスに行くところです!
もし南に下るんならどこでもかまいません!
乗せてください!」
「そんな遠くまで行かないよ。
ヨンコピングでよかったら乗りなよ」
勢いよく乗り込んだ車内の空気は居心地が悪かった。
喧嘩の真っ只中だ。3時間、奥方はくしゃみを3回、旦那は一言も発しなかった。
次の車でバサまで行き、そこの公園で寝袋におさまった。
翌日の昼過ぎ、マルモ、フェリーでコペンハーゲン、
その日は市内の公園だ。
ストックを出て、4日目の昼前、リューベック郊外の港に着いた。
弾む心でドイツに入った。
15人以上のヒッチハイカーが道路脇100m挟んで生活していた。
洗濯物がはためいている。
俺の船からあらたに20人余りが加わった、もう部落だ。
最終フェリーが午後2時、諦めた。
アンジーが10番目に座っていた。
「遅かったね。何番」
「35、6番かな」
「一日、25人がいいとこ。明日も難しいね」
ここで野宿する気はなかった。
「歩いてく。かったるくなったらバスに乗る。
ヒッチどうだった?会わなかったね」
「ヨーテボリさ。遠回りしたよ。
でも、ヘルシンボルグ、マルモ、あとはすいすいさ」
アンジーはストックより元気になっていた。
再会を約束して別れた。
そこから始まる一本道を歩き出した。
どのくらい歩いたのだろう。
遠くに教会のとんがり屋根が見える。
後ろでクラクションが鳴った。
最後のフェリーが着いたようだ。
すぐ横で声がした。
「ヤパンスカ・コジ!!
運転手さん、すごくやさしい人!!!
気が変わらないうちに早く乗れ!」
思わず、くすっ、と来た。
中型ベンツの前席に50代のカップル、後部座席にアンジーと二人の子供が荷物を胸に抱きかかえて座っている。
どこにも入り込む余地はなかった。丁重に断った。
運転席からおじさんが降りてきた。
窓越しに子供の荷物を取って無理矢理トランクに押し込んだ。
イタリア人の髭面のウィンクに、また、くすっ、と来た。
アンジーの肩越しに四つの目が俺を見ていた。
女の子だ。
小さなこぶしが伸びてきた。
俺の手のひらにキャンディが落ちた。
とろけるような甘さだった。
リューベックの駅前で彼等と別れた。
アンジーに10$渡した。
熱いシャワー求めてレーパーバンのユースに向かった。
アムステルダム駅近くのホテルで、チャック・ウォードはロバート・スコットに会った。
最後に会って4年が経っていた。
ロバートに昔の面影はなかった。
「ロバート、変わったな?
餓鬼から大人に変身したってとこか?」
話せなかった。涙声になるだけだ。
ベトナム、父・母の死、兄キース、メグ、この1年余り、何が起きたのか理解できないでいた。
「写真はメグの所だ。
覚えているか、キースのお気に入り、MilesのSixtetのアルバム?
そのレコードに貼り付けた、俺のところには隠すとこがないんでな」
「メグは?」
「元気になった、、も少しだな」
「家に行った?」
「ああ、行ってきたよ」
「、、、、、、、、、、、、」
「ロバート、写真のネガを100万で取引しないか。
お前は当分、国に戻れん。上層部が絡んでいたら長丁場になる。
金が必要だ」
どうしたらいいのか分からなかった。
元NATO情報部にいたチャックに相談した。
25離れた兄、キースの朝鮮戦争時代の戦友だった。
サンタフェの実家とチャックの故郷、テキサス、ラボックはそんなに離れていなかった。
帰省すると、いつも軍服姿で土産を持って立ち寄った。
兄、キース以上に親しい仲だった。
「大佐に写真を送って取引場所を告げる。それだけだ。
おまえは殺したいようだが俺は遠慮したい」
二日後、ベルリンに向かった。
結局、アンジーは現れなかった。
夜遅く、60半ばのハンスさんの車でベルリンに入った。
ライプチヒからの出張帰りでラジオ局の仕事をしている、と言った。
「この時間ユースは閉まっている。
私の家に泊まりなさい。
明日、送ってあげる」
途中、テイクアウトの店に寄った。
チキンバーベキュー、サラダ,ワインを手に戻ってきた。
いきなり、エンゲルベルト・フンバーティングの曲が流れた。
家族は誰もいない、不安になった。
おかま、だろう?野宿したほうが、、、、。
0時半を過ぎていた、見知らぬ地をさまよう気力はなかった。
チキンのこおばしいにおいがする。腹とハミングした。しきりにワインを勧められた。
飲めないと断った。
ハンスさんは饒舌になった。
話は重かった、相槌も返せない。
酔いも回ってきたようだ。
英語で話していたのが、いつのまにかドイツ語に、俺の存在に気づいてまた戻った。
時折、スラブ語が入ってくる。
飲めないのに、グラスを手にしていた。
ハンスさんはハンガリー系ユダヤ人でトレブリンカ強制収容所の生き残りだった。
「1942年、11月9日、 7時22分。
兵隊だ!10人。
デボラ、エステ、アニー、、、、スーザン、彼等は別々に連れて行こうとした、
私は抗議した、、、何度も殴り倒された。
抗議した、、
父と母がトラックに乗っていた。
目が、、合った、、、、、
さよなら、、、してる。
父の歳を越してしまった。
もう生きる気力も執着心もとっくに萎えて、、
時間だけが、過ぎていった、
どこかで生きている、
どこかで、、、、
、、、
わかったんだ。
もう会えないんだ、
もう、、、会えないのはわかったんだ」
テイクアウト容器の上に酔い潰れていた。
笑みを浮かべていた。
幸せだった頃の、明日を信じていた頃の家族といた。
白んでくる外をカーテン越しに眺めていた。
微かに居間から聞こえてくるエンゲルベルト・フンバーティングのレコード盤上で迷走している針の音が、ハンスさん家族のすすり泣きに聞こえた。
ベルリンの町は活気がなかった。
すぐ間近に見える壁の存在がすべての明日を閉じ込めていた。
空を見上げては壁から伸びる放物線を想像して気が滅入った。
ジャンプすると、頭をしたたか打ち、走ると、壁にぶつかるような感覚が俺をがんじがらめにした。壁に沿って歩くか、後退りするしかなかった。
圧力に押し潰されそうだ。壁がなくならないとベルリンは前に進めないと感じた。
ハンスさんがアウトバーン入り口まで送ってくれた。
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