jaco2 65
2: Jaco pastorius

Janis Joplin、Jim Morrison、Lowell George、Mike Bloomfield、Paul Butterfield、Kurt Cobain、Danny Hathaway、、、

musicianとdrug(医者に処方された鎮痛剤、鎮静剤、睡眠剤などを含まない
コカイン、アヘン、LSD)は切り離せない。
上記のpop musicianにjazz musician(Billy Holiday、Chet Baker、、、)
を加えると亡くなった数は多くなる。
多くの人が得るものがないと止めるが、紙一重で悪魔の呪縛から逃げおおせた
者や、その魔力に絡まれて別世界へ旅立つ者もいる。それらは又、傑作を産み
おとすブースターの役をも担う。

35歳で、ひどい散り方をしたbassistがいた。名はJaco Pastorius。現在も彼のgroove感を持ったmusicianはいない。これからも現れないだろう、Jimi Hendrixと同じで。 

Alcohol、drugとは無縁だった。しかし、80年半ば、躁鬱病と診断されてから、その強い薬が彼の音楽を少しずつ蝕んでいった。

80年になってWeather Report のドラマー・Peter EskineがJacoの異変に気付いた。父親の精神科医に相談したところ、鬱ではないか、と言われた。
それからの約5年間、巣くった悪魔を宥めながら音楽に全身全霊を捧げた。
しかし、普通に素面でスパークできた音がもう出ない、出せなくなっていった。そのためdrugが必要だった。そして、徐々に、それらをまぶした生コンクリートに放り投げられ、周りに杭を打たれ、身動きできなくなっていった。

1974年、Pat Methenyのfirstアルバム(Bright size life))参加から1986年までの短い彼のrecording人生。23歳で彼の音楽性はとんでもないレベルまで達していた。その後、作曲家、演奏家としての力量は勿論のこと、特筆すべきはライブでのブラックホール力だ。
78、80年NY・beacon theaterでWeather ReportのJacoを見た。Hendrixとだぶってしようがなかった。
上半身裸で跳ねていた。俺達は彼のbass音と繋がっていた。雷、稲妻を時折Jacoが放つ。彼の音は円く優しい、それでいてスパーク全開。
彼のbassはmelodyが命、追いかけ、追いかけ、improvise。
コーラス、ハーモニクス、出してはいけない音は完璧にmute、ごまかしのない音。effectorはなし、微かなfuzzと抑えたdelayのみ、acoustic音に近い。

“ラジオでbassの音なんて聞こえない。だからメロディーラインをひたすら弾いて自己流の練習さ。うるさい、ってお袋にいつも言われてたからね”

これがJacoの自己流、独自のmelody主体のbass style を創り上げた。
Charlie Parker、Coltrane、Jimi Hendrixと並ぶ鬼才だったJacoのような独自のgroove感をもったbassistは、Hendrix同様もう出てこない。
あの時代背景(音楽を聴くには労力を要した。Clubに行くか、こもったAMラジオ、聴こえてくるのは演歌と同じでしまりのない画一的なコード進行。白黒のみの音楽キャンバス、色はいくらでも加えることができた。(Hendrixの音はclapton、 page、beckを驚かせた。左利きなのに右用のギターを弾いた、それが音の源泉だとは誰も気づかない。当時は自由だったのだ:jimi の章で後述)

この稀有な才能の持ち主は、1987年9月、35歳でひどい散り方をした。

その18カ月前の1986年3月、NYの病院で躁鬱病と診断されて約8週間入院した。
その後、多くの友達が手を差し伸べて助けようとしたが、Jacoは自分が、あのJacoであったことを忘れていった。
NYの公園ベンチでのstreet 生活、万引き、警察の厄介に、そして、大切な fender bass guitarさえビィレッジで失くす。

その後、故郷のフロリダに戻ったJacoはCarlos Santanaのclubでのコンサートに行き、飛び入りでSantanaに加わってplayした。その後、Santana bandのbassist Alphonso Johnsonのバスソロ後、ステージに上がって彼の手をあげ聴衆に拍手を求めた。
それを胡散臭そうに見ていたセキュリティのドアマンがいた。彼はJacoが何者か知らなかった。

その後、クラブ前でSantanaと別れた後、そのドアマンと諍いになった。
そして、病院に搬送され、10日後、家族の同意のもと生命維持装置が外された。

頭蓋骨骨折、鼻、口、目、からの出血、体中の内出血、顔面骨折、右目は裂け、眼球が外れ、歯が唇を貫通、殴った奴の指輪の名が皮膚に刻まれていた。
仮に生き延びたとしても右目失明、左手は動かない、と医者は言った。

ドアマンは黒帯空手3段、殴ったのは一回だけと裁判で主張した。そして、4か月の服役だけで出所した。

Santana はJacoの死をサンフランシスコで知った。
‘悲しくて泣いた。海に飛び込んだ。クラブでのJacoはトラブルを求めていたようだった”

JacoはMiles Davisとひどくplayしたかった。二人は会うには会ったが上手く行かなかったようだ。なぜかは不明だ。


Jacoを慕っていたMarcus MillerはJacoに捧げる曲を書いた。 
Mr.Pastorius

Marcusはこの曲をMilesの前で恐る恐る弾いた。すると、ひどく気に入り、入ってきた。その時のMilesのソロがすごかった、、と。

そのMilesの演奏で Mr.Pastorius を
https://www.youtube.com/watch?v=-p_-O6sRCQ0

Jacoのplayを一曲。
Joni Mitchell のMingus album
Goodbye Pork Pie Hat      
https://www.youtube.com/watch?v=Y6k-_xNi0e8

          続


2016.05.18 


Secret