1: junky musicology MJ & prince

junky musicologyに実名が出てきますが創作です。
ドラッグ関する記述が多く出てきます。日本の実社会での使用はillegalです。
30年以上前にカーター元米大統領が言ったように、ドラッグ(大麻、ハシシ、ヘロインではない)で得る快感とそれで被る罰則は全く割に合いません。実社会では不要のものです。しかし、50、60,70年代のmusic scene ではその変化、進歩に多大な影響を与えました。 、、興味がない方はどうかスキップしてください。



110512 GUITAR - コピー10
1: MJとprince

princeが召された。purple rain で世に出てきた時、俺はNY、Lower East Ave・A の9thと10Thの間に住んでいた。MTVが始まったころで、music videoはCD売り上げの宝だ、と大手レーベルがのめり込み始めたころだ。

チンケイな奴だ、と思った。変にvisual、でもhen。一見marc bolan風、、でも動きはhen 、ギター音は2層、表はpureっぽい泥臭さ、でも下は不気味でalien風。なんだ、こいつは、、って感じだ。商業的な成功を意図したbowie等とは明らかに異質、まさにonly one,impactのあるhenなmusicianだった。

marvin gaye、curtis mayfield,やや白っぽいisley brothers等、それまでのblack artistとは違いbigになろうと上昇志向絶大。その為にはblackの味を消す、と。purple rain はまさに万人受け用の計算された曲だった。
(だが晩年は鞘に収まった、日本人にはとっつきにくい、sly・F、Pfunk系に)、

彼にとってMJ(マイケル)の存在はでかかった、ライバル視した。
1982年のprinceのアルバム1999は、その一月後に出たMJのthrillerの敵ではなかった。
princeは苛立ちを抑えることができなかった。
‘I gonna get to that! Gonna be the biggest dog!(追いついてやる!)と叫んだ。
soul・funk系の曲だったpurple rain をpop・rock に演奏しなおした。
そして、hitした。
(しかし、その大衆に迎合した代償は大手レーベルとの喧嘩、決別、そして自らの名前の改名、CDのNET販売につながる。以降、本来のartistとして自分の音楽を追求する、この一点に心身とも捧げた)。

数年後、
MJはprinceに‘I’m bad’のテープを送り、コラボしたい、と伝えた。
頭にきた、自分こそbadな人間だと信じていたからだ。
Prince は自ら曲を録り直し、MJに送り返した。

MJ:こんな曲にすべきだったんだよ、のメッセージを添えて

そのMJは既にいない、princeも。
似たような原因不明の旅立ちが二人の最初のコラボとなった。

Nothing compares 2u
この曲のカバーバージョンを sinead oconnorで聴いていただけたら
彼の素晴らしさが、、https://www.youtube.com/watch?v=e_fPS0HwjJc

Nothing compares 2u,prince. おまえはおまえだ、prince



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