4:悪夢

ロンドンに移ってからの記録はそれまでの半生より多くは残っているが、作品についての記録、記述は一切ない、遺書にさえ、なぜなのだろう?

1583年、19歳の時、地元の由緒ある豪族の出、母メアリーの実家の長、エドワード・アーデン(メアリーの従兄の息子)が、娘婿(John Somerville)のエリザベス一世暗殺を企てた罪に連座して絞首刑になっている。
実際はライセスター伯(Earl of leicester)と初代エセックス伯の妻との関係を公に非難したことなどが原因だとも言われている。ライセスターの陰謀だと。自身、無実を主張し、唯一の罪はカトリック教だったことだ、と後、殉教者として崇められている。これで天才は宗教観を隠すことに徹した。
(なお、ライセスター伯はエリザベス一世が結婚を考えていた相手で、最初に演劇に理解を示した人物、だが民衆の人気はなかった)

そして、転機と悪夢が訪れる。
1594年、上流階級の集まり、グレイ法曹院(法廷弁護士の育成・認定を行う協会組織)の会員であったサザンプトン伯(Earl of Southampton)の目に留まったことが始まりだった。パトロンとして1000ポンド(現在、約5千万円)もの大金を与えられている。そのつてで、同年、エリザベス一世の前で2度も上演の機会を与えられた。

その後、人生最大のやばい時期がきた。
エセックス2世(上記のアーデン事件の初代エセックスの子供)が1601年、反逆罪で斬首された時だ。彼も天才のパトロンで親交が特に深かった。民衆に絶大な人気がある伯爵に取り入ることで一座の隆盛を、伯爵は今でいう宣伝マンとして利用し王位の座を射止めようとした。しかもこの事件にはサザンプトン伯も深く関わっていた。彼も死を宣告されたが、後、終身刑に減刑されている。
シェクスピアは武装蜂起した2月8日から判決が下る2月19日の11日間、二人を助けようとグローブ座で『リチャード二世』を上演し続けている。実は、武装蜂起前日にもエセックス支持者たちが、同劇の上演を依頼している。それは民衆に武装蜂起を知らせ、彼らの支持を得る為エセックスとサザンプトンが仕組んだものだった。二人を信じていた天才は受け入れる。
この時はまだ未来を信じていた。老いた女王に変わり、エセックスが王となり、そして、、、自分は貴族に、、と。
しかし、全ての未来が無と化した。
この時、劇団員(Augustine Philip)が当局に呼ばれ尋問を受けている。

シェクスピアが早くして成功したのは二人との出会いがあったからに他ならない。
天才はエセックス死刑執行日、2月25日にも『リチャード二世』を上演している。
葬式のつもり?、悲しみでメロ、メロ、破れかぶれ状態だった。
最悪、死を覚悟していた。
しかし、驚いたことに女王は劇中で殺されるリチャード2世は自分だと、知っていたのもかかわらず罪に問わなかった。他の作家達(Christopher Marlowe、Thomas Kyd、Samuel Daniel)はこれより軽い刑で罪に問われているのに。
シェクスピアの才能を信じていたから?余りにも有名で人気があったから?
それとも放免することが自らの名声を高める、と計算した?
真意は分からない。
やはり、才能を信じていたからに賭ける。
罪に問わなかった女王は偉大だと思う。

しかし、1601年2月8日以降のシェクスピアはそれまでの天才とは違っていた。


2014.03.31 


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