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1592年、劇作家として歩みだしたシェクスピアは、1597年、僅か5年足らずで故郷で2番目に大きな屋敷、並びに近隣の土地を購入している。その前年には、父の名で家紋取得(ジェントリ)の許可を得て社会的に上流階級の仲間入りを果たしている。
他の西ヨーロッパ諸国の貴族は衰退していったが、英国が支配階級「貴族制」を20世紀まで温存できたのは、上層(貴族)への途は閉ざされていたが、シェクスピア一家のように経済的に成功し、社会的な名誉を欲するようになった中流階級層に土地を購入することで下層部(ジェントリ・ジェントルマン)の階級を与えたことによる。それは父親の願いとともにシェクスピア本人のそれでもあったようだ。

ファースト・フォリオ (First Folio)
シェクスピア死後、7年を経て1623年、シェクスピアが属していた劇団(King’s Men)仲間二人によって出版された最初の36編の戯曲集で、この作品なしでは天才は存在しないと言われている。
当時は原作者の下書きを元に代書人が書き直し、印刷業者がプリントして販売する。印刷業者は原作者から権利を買い取り、その内容さえ変えることもできた。しかも、原作者の許可なく誰でもコピーを印刷業者に売ることができた。劇団間の競争は熾烈で、新作が出るとライバル劇団員は内容をコピーしようと見に行った。 
その為、下書き状態で上演され、プリントしたものが出回る頃は内容も変わっていることが多くあった。
シェクスピアは当時としては珍しい座付き作家(晩年は株主、経営者でもあった)で刊本には関知せず劇団に作品を売っていたようだ。当時の劇団員は全員、男性で女性の役もこなしていた。
又、16,17世紀の英国でのアーティストは危険な職業だったようで、偽名、匿名で出版することは珍しくなかった。勿論、著作権法はなかったが登録制度というものがあり、それが極端な自由思想、反政府思想の取り締まり、国王への非難、中傷を監視する役目を負っていた。それを犯した者は反逆罪、無神論者として拷問、死刑に処された。

故郷ではビジネスマン、資産家、ロンドンではアーティスト、芸術と社会生活で成功を成し遂げた人物。
父、母は読み書きができなかったのに、高等教育を受けていない息子は、名詞を動詞で、動詞を形容詞で用い、接頭辞(pre-)接尾辞(-er,-less,-able)を単語に付加するなどして約1700の造語を創るほどの天才。
現在の英語はシェクスピアに多くの借りがあるとも言われている。
実際、彼の作品には戯曲で約15000、詩で約7000、合計約21000もの膨大な語が使用されているのが特徴で、現在の作家のそれは平均7500~8000語にすぎない。
現代ではもはや廃れた言葉、表現方法、スペルの違い(シェクスピア時代のアルファベット、iとj、 uとvは同じとされていた)、などシェクスピア作品の真の意味を理解するのは困難だとも言われている。
劇場を超え、時を超え、未来を見据えて書いているかのように、シェクスピア劇は無限の創造空間を与え続けている。

 続

2014.03.24 


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