6:英国 原発事故  核

60年前、1952年、10月3日、英国は原発ウィンズケール(Windscale)から抽出したプルトニウム(不足分はCANADAから調達)で、先住民アボリジニの人々、南太平洋諸国に通知もなく、オーストラリア西海岸、モンテベロ諸島で最初の核実験、コードネーム “HURRICANE”  を行った。

それから11年余り、1963年、PTBT(部分的核実験禁止条約)で大気、水中の実験が禁止されるまで21の核実験を行った。
30m級のクレータを海面から至る所に見ることができ、そこに住んでいる人達の放射能汚染による被害は現在も続いている。
http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0403_3.htm (オーストラリアから核のない未来を求めて)

1957年10月10日、Windscaleで火災が起き、原発事故による放射能拡散の危機に初めて人類が遭遇した重大事故となった。
(災害の代名詞のように使われたため、後、名前をセラフィールド(Sellafield)に改められた)。

水を注入しないと英国全体が放射能汚染、しないと水蒸気爆発、まさに福島の先例があったわけで、このときは、原子炉を密閉して水を注入することで事なきを得たようだ。
これはすべて原発技術者の手柄だったが、当時の首相、マクミランは核を持つ米に並ぼうと、ルーズベルトに水爆の共同開発を提案していた。
この事故でそれが議会で否決されるのを恐れて隠蔽し、歴代首相も事実を隠し続けた。

そもそも、この事故は当時の科学者達の警告に耳を貸すこともなく、性急な水爆用プルトニウムの量産を迫る政府、軍部の水爆開発(プルトニウムの量産)が原因だった。
それから50年間もマクミラン首相を始め、歴代の政権は破滅的な事故を防いだ現場の人達の操作ミスが事故の原因と弾劾してきた、とBBCが報じている。
(http://news.bbc.co.uk/2/hi/7030281.stm)video有り



1957年10月10日、ウィンズケール火災事故が起きる。この事故は世界初の原子炉重大事故となった。英国北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場(現セラフィールド核燃料再処理工場)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け[要出典]、数十人がその後、白血病で死亡した。現在の所、白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。なお、現在でも危険な状態にあり、原子炉2基のうち一基は煙突の解体が遅れている状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロを汚染し、ヨウ素(ヨード)の危険性を知らせたことで有名である。また水蒸気爆発のおそれから、注水に手間取った。
(ウィキペディより抜粋)
http://www.opendemocracy.net/5050/rebecca-johnson/from-banning-nuclear-tests-to-banning-nuclear-weapons?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+opendemocracy+%28openDemocracy%29


2012.11.02 


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