50:With a little help. アルカイダとアルカイナ

with a little help from Stranger


50:アルカイダとアルカイナ


菅谷組、暴力団員、山岡哲司は英語を独力で勉強した。DNAは争えない、息子、鉄二と同様、フランシス・コッポラ監督の映画「ゴッドファーザー」に魅せられたからだ。
煙草の吸い方、スーツの色、髪型、歩き方、ナイフ、フォークの持ち方まで、デ・ニーロ、アル・パチーノ、マーロン・ブランドの真似をした。
彼は母親エリザベスを自動車事故で亡くしたアントニアを約一月、自分の隠れマンションで世話をした。母親を亡くした後だったがアントニアにとって生涯で一番幸せな一時だった。
哲司に自分が置かれている状況を伝えた。P2(フリーメイソン)、バチカン、マフィア、米、CIAと父カンポスとの関係、母エリザベスの自動車事故は彼らの仕業にちがいないと。

ビト・カンポスは哲司にアントニアを密かにロシア経由でストックホルム、ガムラスタンにあるライゼン・ホテルまで連れてきて欲しいと頼んだ。
大阪戦争、それに、北陸の帝王と呼ばれた菅谷組川内弘と組長の菅谷政雄の仲がおかしくなっていたが、組長は一週間の休みをくれた。それほど政雄にかわいがられていた。
ストックホルムでのアントニアとの別れは切ないものだった。お互い、最後、もう会えないと、分かっていたからだ。
最後のホテルでの抱擁、思いは一緒、、このまま逃げようと二人とも、、だが、現実は、、出発の時間まで抱き合って過ごす以外には、、、限りある時間が永遠になるほど、、すべてを投げ出して任せた、、それしか、、もし来世があるのなら、、。


カンポスはアントニアをディマッジョ・ファミリーに預けた。シチリアでガンビーノ・ファミリーの盟友、インツェリッロ・ファミリーに敵対するファミリーだ。そこには、戦後、連合軍シチリア侵攻の際、世話をした幹部のジョン・スパーロがいた。

それから数週間後、アントニアは哲司の子を宿しているのを知った。
カンポスはここまで全てをP2に悟られることなくやったと思っていたが、彼等はすべてお見通しだった。放置しておいたのはビト・カンポスの口封じにアントニアの子の存在はカードが増えると判断したにすぎない。それにジャパンのヤクザ、山岡哲司もいずれ利用できるのではと踏んでいた。

77年、2月7日、山岡鉄二は産声をあげた。アントニアが我が子と一緒に過ごせたのは一月弱だった。父親が鉄二の存在を隠そうと、イタリア当局の有罪判決を逃れて隠れ住んでいるニューヨークに呼び寄せたからだ。彼女も鉄二だけでもと、ベストの選択だと判断した。もう生きることなどどうでもよくなっていた、我が子さえ無事なら、と。

77年、12月8日、アントニアが消えた。
四日後、彼女が愛用していたブレスレットが届いた。
米当局はすぐに動いた。ビト・カンポスに国外退去を命じ、彼はイタリア検察当局から派遣されたと名乗る4人の男によってスイス、チューリヒの山荘に連行された。
以来、1982年10月18日、リバプール、ランコム鉄橋に吊るされる三日前までそこで監禁の身となった。それまでの7年余り彼が脅していたバチカン陰謀の内幕を記した書類など存在しないとP2が判断したからだ。


タリバンとイランの関係が悪化して両国が国境に軍隊を集結させているさなかの1998年、8月20日、当時の米大統領クリントンは79発のクルーズミサイルをビン・ラディンのトレーニングキャンプに発射した。米にとって両国の紛争は喜ばしい事だったにもかかわらずだ。
その三日前の8月17日に公聴会でクリントンは証言した、モニカ嬢とは何もなかった、と。
例のモニカ嬢とのスキャンダルだ。醜聞から大衆の目を逸らそうとクリントンは躍起になっていた。おかげで、米にとって望ましい両国の紛争は棚上げになってしまった。

その爆撃で右足を無くしたアルカイダ幹部がいた。後に、アルカイナという名のテロリスト組織を作ったイサムディン(Riduan Isamuddin)だ。

2004年、ハワイ島に住むヘリコプターパイロット、ジョージ・マイケル(旧姓、Ramzi Binalshibh)は深夜、黒ずくめの男4人によって拉致された。
行き先はコソボの米軍基地、ボンドスティール(Bondsteel)内にあるCIAがテロリストを収監する収容所、キューバのグアンタナモ秘密収容所の存在をアムネスティが嗅ぎつけたため、CIAは東欧に収容所を変えた。
拉致される3日前、ジョージは77年に頼まれた奇妙な仕事のことを兄に手紙で伝えた。もちろん、複数の友達を通して、兄の名はイサムディン、アルカイナのリーダだ。

その仕事の件は契約どおり誰にも伝える気はさらさらなかったが、貿易センター以降のアラブ人、イスラムに対する当局の仕打ちに怒りが増幅していた。30年も前にサウジアラビアから移住してきて米市民権を得て、名前も英国風に変えた。
兄イサムとは全く正反対の行き方をしてきた。ロックミュージックを好み、イスラムであったがそれさえどうでもよくなっていた。だが、貿易センターテロ以降の偏見、差別は応えた。仕事はなくなり、妻、親しい友人さえ離れていった。
そして、いつも誰かに監視されているような気が、耐えられなかった。

12月10日夜半、ハワイ島プナの邸宅から3人の男と一人の女性を乗せてキラウエアまで飛んだこと、当時としては破格の5万ドルの報酬、勿論、口止め料込み、それとこの10年余りをかけて知りえた情報をすべて手紙に書いた。

ヘリコプター内で指図していたのは現NY5大マフィア、ガンビーノ・ファミリー・ボスのゴメス・ゴンザレス、キラウエアの火口に突き落とされた女性は元アンブレラ銀行頭取、ビト・カンポスの娘で、彼はマフィアで戦時中CIAの手となり、連合軍のシチリア侵攻に手柄を立て、戦後、バチカンの子飼いの銀行頭取として疑惑に関与していた。バチカンマネーは中米のコントラ、ポーランド・連帯のソルダルティにも流れ、その口封じに1982年リバプールで殺害された、との噂がある、と。




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