49:With a little help. 真実、、fake、?

with a little help from Stranger


49:真実、、fake、?

77年、12月10日夜半、ハワイ島プナにある邸宅から一台のヘリコプターが飛び立った。行き先はキラウエア、マウナロア南に位置する火山だ。
座席に1996年、NY五大マフィア、ガンビーノ・ファミリー・ボスの座を射止めた若いゴメス・ゴンザレスと部下二人、そして首から上を黒の布袋で覆われたアントニア、鉄二の母親だ。
キラウェアの山頂に達すると、ゴメスは躊躇なく彼女を溶岩目掛けて投げ落とすように指示した。
カンポスの内幕暴露を恐れたP2、バチカン、マフィア、米の共同作業だった。アントニアの母親、エリザベスを大阪で自動車事故に見せかけて殺しただけでは不十分だと彼等は考えていたのだ。
汚い仕事はガンビーノ・ファミリーが請け負っていた。

ペレの神は人身御供に喜んだのだろうか、、だからゴメスは彼女の災いを受けることなく、ガンビーノ・ファミリーボスに上り詰めたのだろうか。
彼は二日前キラウエアを下見に訪れた際、小さな3個の石をポケットに忍ばせた。その内の1個をリバプール、ランコム鉄橋でビト・カンポスを吊るした時、彼のポケットにレンガと一緒に入れておいた。ゴメスも人間だったようだ、、せめて娘アントニアと石だけでも、と考えていたのだから。
自分の体の一部である石(溶岩)を持ち去った者にはペレの神は復讐するはずなのに、、彼には、、?


76年1月、鉄二の父、山岡哲司は偶々、通りかかった車の後部座席ガラス越しにアントニアを見た。
反対車線の道路で女性が倒れていた。傍らに若い女性が両手を震わせ泣き叫んでいた。いきなり自分が乗っている車に飛び掛ってきた、、ガラスを叩いた、、車は動き出していたのに、、見過ごす事が出来なかった。人目ぼれだ。
75年7月26日から3年余り続いた三代目山口組と二代目松田組の大阪戦争の真っ只中に哲司は山口組若頭補佐、菅谷政雄の指示で動いていた。


ビト・カンポスはバチカンの思惑を知ってエリザベスとアントニアを遠い東アジアに逃がした。当初、オーストラリア、メルボルンに隠れ住んでいたが半年後、大阪に移した。
背後にフリーメイソン組織P2(Propaganda Due)が動いているのを感知したからだ。

P2の母体は1805年に設立されたGrand Orient of Italyで、戦中ムッソリーニに弾圧されたが戦争終結とともに活動していた。影の政府とも呼ばれ、メンバーは、議員になる前の現首相ベルルスコーニ、ジャナーリスト、軍司令官、そうそうたるメンバー、総勢1000人近い組織だ。

彼等は南米、中米でも活動した。
有名なロイド・ウェーバーのミュージカル・エヴィータ“EVITA”のモデル、イザベル・ペロン政権樹立、その後の1976年から83年、アルゼンチン、ヴィデラ軍事政権樹立に関わった。

73年から76年にかけてアルゼンチン首相だったイザベルは2007年、1月12日、アルゼンチン市民活動家、ガジェゴ(Hector Aldo Fagetti Gallego)行方不明事件に関わった罪でマドリッドで有罪の判決を受けた。以来、自宅監禁の身だ。
彼女の首相在任中の行方不明者、約600人、殺害された人、500、その後のヴィデラ軍事政権による約3万人にも及ぶ市民行方不明事件の下地となる。

1978年、パウルス六世逝去後、法王になったヨハネパウロ一世(Albino Lucianiアルビノ・ルチアーニ)は清廉潔白な人柄だったが故にバチカン銀行の清浄化を推し進めようとした。
しかし、在位僅か33日で心臓麻痺で死去した。
法王はバチカン銀行総裁マシカスを解任するつもりでいた。謎の死だった、自然死を装った、、一部では暗殺されたとも。
跡を継いだパウロ二世はバチカンマネーをポーランドのソリダリティにつぎ込んだ、勿論,米政府もバチカン銀行を通して。

詰まるところ、バチカンがビト・カンポスのアンブレラ銀行投資で失った金の一部はニカラグアのソモサ崩壊後のコントラやポーランド、ワレサ率いるソリダリティに流れた。
裏で米政府、CIAが動き、そして、初のポーランド人法王、ヨハネ パウロ二世が誕生した。




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