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48:バチカン陰謀


1982年10月18日、リバプール、ランコム鉄橋で男がぶら下がって死んでいた。ポケットに約7キロのレンガとモルタル、それに$15000の各国通貨、両手は後ろに縛られていたにもかかわらず当局は自殺として処理した。男の名はビト・カンポス、鉄二の祖父である。

ユダヤ人の財産、ナチの没収を逃れようと頼ってきた金持ち連中、ムッソリーニがバチカンに与えた税免除が莫大な利益を生み、1950年半ばまでに約10億ドルがバチカンに流れた。
1942年に設立されたバチカン銀行(ローマ教皇庁)は、それらの莫大な資金をモーガン、クレディスイス、チェスマンハッタン、コンチネンタルーイリノイ銀行等を通して、鉄鋼、農業関連事業、保険、不動産、及びGM、ガルフ石油、TWA、IBM、その他多くの大企業に投資をして莫大な利益を得た。
後に赤の旅団に暗殺されたアルドモロ等、歴代イタリア首相達は何度もバチカンに課税をしようと試みたが、その度にイタリア国内企業に投資していた資金を引き上げると脅した。経済混乱を恐れ政府は何も出来なかった。それほど莫大な金が出回っていた。
膨らむ一方の金の処理にナチ戦犯を南米に逃がす仕事を任せていた鉄二の祖父、ビト・カンポスを利用した。

戦後ミラノに移った彼をバチカン銀行直轄のアンブレラ銀行の頭取に据え、投資先の隠蔽工作に利用した。彼は海外に何社ものダミー会社を作り、リヒテンシュタイン投資会社FASCOAGを通して積極的に海外に投資した。勿論、非合法なものだったのでイタリア政府に悟られないように極秘に行われた。
米、シチリア・マフィアとも関係があったビト・カンポスは、彼らのマネーの洗浄もした。特にガンビーノ・インツェリッロファミリーとは深い付き合いがあった。

1963年(~1978)モンチアン大司教がパウルス6世になり、1971年、アメリカ大司教ポール・マシカスがバチカン銀行総裁に着任してバチカンマネーはヨーロッパ全土、ラテンアメリカ、北米、カリビアンに広がっていった。軍事産業、果ては避妊ピル製薬会社なども投資先になるほどに。
しかし、それも1974年頃から狂い始めた。
米の子会社フランクリンナショナル銀行の為替投機による損失に始まり、続いて株式市場の大暴落、海外のダミー会社を通して投資していた金が回収できなくなった。約4億ドルが消え、バチカンは多大な損失を蒙った。

アンブレラ銀行の海外不法投資が明るみになるやバチカンは迅速に動いた。
ビト・カンポスにすべての責任を負わせようとした。イタリア政府機関の聴取にバチカン銀行総裁マシカスはカンポスとの関係を拒否し、バチカン銀行は一銭の金も投資していないし失っていない、さらにカンポスとの面識さえないと。





2008.11.30 


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