6:はわいーい 糸このエントリをはてなブックマークに登録

6:糸


やっと仕事に慣れた頃、18歳の餓鬼は人間関係の難しさを知った。
デスクのチーフだった戸昼アキラは、入社当時からいろいろと面倒を見てくれた。
今住んでいるアパートも彼が見つけてくれた。
なんでも、祖先はグアテマラ、マヤのキチェという一族だったらしい。
戸昼の苗字は、キチェ族で神を意味する“トヒール“に由来すると聞いた。
親分肌で、社内で同世代の若者に人気があった。 

ある日、チーフが、売り上げの一部をポケットに入れるのを見てしまった。
恩義があったので見て見ぬふりをした。
それから数回、同じ光景を目にした。
青くて若かった。
汚い、許せない、と思った。
 
ホテル内のトイレのドアを開けた時、チーフと子飼いのスタッフが屈んで床の紙片を笑いながらごみ箱に投げ入れていた。
罰が悪そうにチーフが言った。
「純、マクドナルドにいるからよかったら来な」

手を洗ってゴミ箱に紙を投げ入れた時、自分のサイン“J”の紙片が見えた。
1時間前に売ったテレホンカード3枚分、30$の売り上げ伝票が細かく千切られていた。
誰もいないデスクに戻って金庫を開けた。
テレホンカード代、30$と伝票が消えていた。 

仕事が終わって、チーフに伝票のことを聞いた。
彼は悪びれるふうもなく、一緒にやらないかと誘ってきた。
翌日、金庫の番号が変えられていた。

それからの一月は最悪だった。
デスク6人のスタッフは、チーフの子飼いと彼がリクルートした女性達だった。
彼女らが加担しているようには見えなかったが相談出来なかった。
デスク内で孤立してしまった。
ニックネームが“グリーン ジュース(青二才の純)”になった。
楽しそうに、パーティを開いたとか、食事会をやったとか、話していた。
社内の若者たちも自分を避けるようになった。
会社の損失とか、そんなものはどうでもよかった。
ねこばばして遊ぶ、そんなことに手を染めたくなかった。
以前は5、10分程度の遅刻だったチーフの出勤時間が30分になった。
子飼いのスタッフが、タイムカードを始業時間の8時前に押していた。
インターナショナルな構成だった。
どう対処していいのか餓鬼には分らなかった。
辞めるつもりで社長に会いに行った。
生憎、留守だったので、出向社員の黒木にチーフのことを話した。
彼はうすうす感じていたようだった。

一週間後、東都ウエスタンビーチ・ホテル、ツアーデスクの縮小と戸昼アキラの空港荷物スタッフ配属が決まった。
自分だけが残り、スタッフは他ツアーデスクに配属された。
日本なら当然首になるところを社長が反対した、と後で黒木から聞いた。

ひどく孤独だった。
隣の部屋から聞こえてくるピアノの音が癒してくれた。
そんな時、ホタルとモモに出会った。

 
クロワッサンを口に押し込んだ時、モモが挑むような目つきだ。
「それだけ食べたんだからやかましいラップの訳を説明しなさいよ」
「僕の部屋は3LDKを半分に仕切った部屋なのでキッチンの横にドアが付いてます。
ドア越しに隣の住人の物音がよく聞こえて、、、」
喉が詰まった。
コーヒーを手にした。
「よく聞こえるからなんなのよ。
あの馬鹿でかい音と何の関係があるのよ?」
「モモ、急かすな。
純は腹が減っているようだ」
「この人はアマゾネスのピラニアみたいな恐い女性ですね」
「私のこと!
ふざけないで」
「モモ、ピラニアは的を射てる」
「まあ!!」
「隣の部屋は4か月ほど空き部屋なので部屋を見に来るのですよ。
うるさい音を出せば敬遠するでしよう。
僕の作戦は成功してますよ。
へへへ、さっきは訛りが南部の白人っぽかったからカントリー好きだと推測してラップにしたんすよ」
モモはまだ理解できてない。
「この前のボサノバは?」
「あれはね。
アルゼンチン人が見に来るって情報が入ったから。
ボサノバ、それにブラジルサッカーの観衆の声援。
ライバル同士だから」
ホタルはまた噴き出しそうな顔をした。
「どこからそんなアイディアが?」
「前に住んでいたラテン人が昼夜かまわず音を出すので対抗しようと思って」
「俺たちがここに来る前だね」
「ええ、うるせいのなんのって。
夜中の2時だろうが3時だろうが大音響でラップですよ。
彼の部屋にスピーカー向けてこっちも応戦しました。
クラシック、ジャズ、カントリー、演歌、歌謡曲、サルサ、ボサノバ、カンツォーネ、賛美歌、みんなトライしたけど駄目でしたね。
たまにドアの前で会うと、この前のカンツォーネよかったね、なんて厭味言われました。
嫌いな音楽探すのに一月もかかりましたよ」
目を輝かせて聞いているモモに純は元気づいた。
「何だったの?」
「ラップ、ラップだった。
だから一か月かかったのさ」
「ラップって!
相手が好きな音楽でしょう?」
「90年代半ばのラップはNY派とLA派に分かれてひどく仲が悪かったんだって。
それぞれ、悪童(BAD・BOY)とデス(DEATH)という会社があって殺しあってたらしいよ。
悪童のノトーリアス(Notorious B.I.G)が殺されたり、その前にはデスのトウパック(Tupac・Sakur)が殺されたりしてたんだって。
ギャングも絡まって複雑だったらしいよ。
隣はLA派だったんだよ。
ラップ聴かないから分らなかった。
NY派をかけ続けたら音が止んだ。
2週間後に出ていった。
ドアに落書きされたけど見事な僕の勝利さ」
「馬鹿みたいな話。
自慢するような話じゃないと思うけど」
「純、一つ教えてあげるよ。
トウパック(Tupac)を逆さに読んでみな」
「逆さに?caput、あ、カプートだ!」:注:

大声で笑った時、バルコニー横のデスク上の写真立てが光った。
純は立ち上がった。
「二人は、、」
「親父と友達」
「亡くなっています?」
「親父は1989年に亡くなった」
「僕の父さんです、、」
「、、、、、、」
「家にある紫と白のアロハを着ています。
父さんです」
「純の親父さん、、友達、?
橋、、橋本、、橋本明さんは純の親父か」
「父さんです」
財布から写真を取り出してホタルに手渡した。
「亡くなる前、友達の葬式にここへ来ました。
いつお父さんは」
「1989年の11月」
「間違いありません。
亡くなる半年前だった、とお袋が言ってました」
「亡くなる、、亡くなったの?」
「半年後にひき逃げで、、」
「半年後、、驚いたな。
橋本さんをよく覚えている」
「本当ですか?」
「葬式の時7歳ぐらいだった。
泣き止まないんで何度も涙を拭いてくれた。
モモは覚えてないだろうな、、
お袋がよく知ってる!
聞いてみよう!」


k(c)aput(カプート):独語.形:やられて,壊れて,ぶちこわされて.
Tupac・Sakur:ラッパー、1996年、ラスベガスで銃撃死
Notorious B.I.G:ラッパー、1997年、ロサンゼルスで銃撃死

theme : 連載小説
genre : 小説・文学

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