4: ヒッチハイク チュ-リヒ
4:チュ-リヒ
車がユトレヒトを通るならミスターFの所に寄るつもりだった。
残念ながらロッテルダム行きだ。
その後、2台の車をヒッチしてアントワープまで来た。
橋桁の下で野宿した。
翌早朝、運良く一発でマストリッヒ行きの車に拾われた。
その後すぐケルン行きのトラックが停まってくれた、ケルンだと遠回りになるので手前のドーレンで降りた。
まだ5時前だ。
途中から小雨が降ったりやんだりの嫌な天気だ。
2台の車を乗り継いでマインツの手前10キロ辺りまで来た、蒸し暑い。
9時を過ぎていた。
お天とう様はどっちにしようかまだ決めかねている。
フランクフルトまで5,60キロの距離だったので続けることにした。
こんな天気で野宿なんかしたくない。
30分後、アウデイに拾われた。
フランクフルトに向かっている、と言った。
疲れが飛んだ。
今朝アントワープを出発してここまでの距離が約600キロ、新記録、達成だ。
ドライバーの顎髯と口髭が約1cmの幅で書いたように繋がっていた、ネイヴィグリーンのシャツに、グレイのVネック、プルオーバーのセーターを着ている。
ズボンが赤のコーデロイで靴も赤だ。
色は然ることながら、横にいるだけで汗が出てきた。
10分ほどして本を差し出した。
「興味あるか?」
若者が裸で手を繋いでいる。
「興味ない」
気分を害したのか低く咳払いした。
お天とう様は決心したようだ。
外は霧雨だ。
車が路肩に止まった。
前を向いたまま言った。
「降りてくれ」
夕暮れも店閉まいだ。
見渡しても雨をしのげるような所は見当たらない。
ただ濡れた道路だけが、外灯を浴びて息づいている。
白地に赤くからアノラックを取り出した。
10時になろうとしていた。
たいして乗っていなかった。
路肩から少し離れて歩き出した。
白地に赤くがひどく重い。
1時間が経った。
雨宿りできるような場所はない。
リュックの重さが肩に食い込んだ。
アウディが頭から抜けない、、なんとなく悲しかった、リュックの重さより。
車が急ブーレーキをかけた。
40〜50m横滑りしながらスピンした。
なんとか止まった。
今にも壊れそうな古いシトロエンだ。
「どこ行くんだ?」
何事もなかったように言う。
何だ、こいつは、死んでいたかもしれないのに。
「大丈夫か!」
髮長の若いカップルだ。
「ああ、もちよ。
乗れよ。この雨、この時間で散歩のわけねぇだろう」
「パウロ、あれじゃない?
世界一周徒歩旅行とか、、、」
「そうなのか、何だ、そうなら止まって損した」
「違う!違うよ!何言ってんだ!、
ヒッチしてんだ!」
「分かってるわよ、冗談。
あなた、その赤い太陽のマーク、、、ジャパニーズ?」
「そう、どこに向かってるの?」
「どこに行きたいの?」
「どこに行きたいの、、、、、って。
連れてってくれるの?」
「ええ、車で行けるらどこでもいいわよ」
笑っている。
何だ、、彼等は。
「チューリヒに向かってるんだ」
「いいわよ、連れてってあげる。
でも夜通し走るわよ、覚悟して。私、ハイディ、僕、パウロ。そっちは?」
「耕二、よろしく」
アムステルダムからの帰りらしい。
「学生で春先から5か月間住んでいた」と言った。
彼らはオープンで自由で純粋だった、しかも底なしだ。
早朝、スイス国境が見えてきた。
パウロが仏語で国境の係官と話していた。
その後、別の係官とイタリア語で話し出した。
「パパはイタリア人、ママがフランス系スイス人だからイタリア語とフランス語だろう。
スイスはドイツにも接しているから、この三つは母国語」
ユースまで送ってくれた。
彼等がどこに向かっているのか、さっぱりわからない。
「ここから、どこに行くの?
俺のために来たのなら申し訳ないんだ。
頼むよ、教えてくれ」
「耕二、ここだよ」
「ええ、それはないだろう?」
「あるのよ」
ハイディが念を押すように言った。
電話番号をもらって別れた。
何だ!あいつら、、、。
アウディの嫌な思いをきれいに掃除してくれた。
街に出た、広いリマット川を挟んでオールドタウンがあった。
さしずめ(ストックホルム+ベルリン+アムステルダム)÷三−犬の糞=チューリヒだ。
2週間余りの出来事を整理しようとした。
無理だった。流れに身を任しているのに溺れそうだ。
そろそろ光もストックを出る頃だ、NYで再会できるのだろうか。
前日、オールドタウンで見つけた
「BLOW UP(ブロウアップ)」という名のパブ兼喫茶店に行った。
M・Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)の映画タイトルと同じだ。
ロックとジャズがかかっていた。
壁に1m大のビートルズの写真があった。
「彼らのハンブルグ時代にここまで足を伸ばして来たことがある。
ここでライブやったときの写真だ」
バーテンダーが誇らしげに言った。
そこには、リンゴスターを除く三人と別の顔があった。
おかしい。今日はジミヘンしかかからない。
「今日、ジャズかけないの?」
「知らないのか、ジミー・ヘンドリックス、昨日ロンドンで亡くなった。
今日はヘンドリックスしかかけないよ」
「亡くなった?どうして!」
「ドラッグだろう」
怒ったように吐き捨てた。
へラルド・トリビューに、
「原因不明、睡眠薬による窒息死か」とあった。
バイトを探すことにした。
久し振りにパウロに電話した。
「耕二、バイト探し手伝うよ。新聞に職業紹介所が載ってる。
可能性がありそうな所を書き出しておくから、明日、10時頃電話をくれないか?」
「ビザのない旅行者が行っていいのか?」
「可能性、自分で閉めるなよ。
情報ある所に当たるのがベストだろうが」
パウロが教えてくれた、駅近くのルーウェン・シュートラゼにある紹介所へ行った。
「皿洗いのバイトを探しています。
ここで働けるビザは持っていません。
どうか仕事、紹介していただきませんか?」
翌朝、トラム(路面電車)でチューリヒバーグを目指した。
紹介されたレストランの名はメーヴェンピック、市内から北北東、約15キロの郊外にあった。
11月初め、チャックとロバートはツアー旅行で帰国する英人に紛れてイビサ島からロンドン・ヒースロー空港に降り立った。
アールスコートのインド人が経営するB&B(Bed&Breakfast)に泊まって、ダラスに住む元大佐との接触を試みた。
3日目に繋がった。
チャックの存在を悟られたくなかったのでロバートが受話器を取った。
「グレン大佐か?」
「誰だ?」
「あんたを探すの苦労したぜ」
「誰だ!おまえは!」
「ティムだ。あんたの部下だったティム・ロビン、忘れたのか」
「ティム・ロビン?そんな名前は知らん」
「思い出したくもない名前は忘れるって訳か。
あんたに殺されたティムだよ、ベトナムのジャングルでな」
「一体何のことだ。切るぞ!」
「ティムから手紙もらってな、中に興味深いもんが入ってた。
100万$と交換したい」
「何を言ってる?」
「サンプルと楽しい会合場所の地図送るからそれ見て決めな。現金で、100$万用意しとけ、パーティは12月17日だ。場所は地図見て判断しな。現れなかったらすべて公表する。大騒ぎになるな」
「寝惚けたことを!おまえの名前は!」
「ティムって言っただろうが、17日に待ってる」
取り引き後の脱出に頭を痛めていたがサッカー好きのチャックが解決した。
会合場所はスペイン、マドリッドのベルナベウ・スタジアム内のコーヒーショップだ。
17日のバルセロナ戦、数万の観客に紛れ込むことにした。
11月半ば、二枚の写真と一枚のサッカー観戦の切符がロンドンから大佐の元に届いた。
ベトナム従軍中、カンボジアへ密かに行ったとき部下のティム・ロビンが撮影したパーティの写真だった。
彼はジャングルで始末したが、押収したフィルムはすり替えられていた。
大佐は、部下を動員してティム・ロビンの周辺を調べた。
12月初め、ティムの出身地とベトナム脱走兵をふるいにかけた。
それらしき男が浮かんできた。
その人物の写真とおおよそのバックグラウンドを入手した。
その男には右の耳たぶにほくろがあった。
ボブ・レノンに、ヨーロッパへ行って男を探すように命じた。
12月3日に出ることにした。
パウロ、ハイディが市内のレストランで送別会をしてくれた。
パウロが船乗り用の頑丈な分厚い麻でできたバッフルバッグを俺に差し出した。
これで白地に赤くから解放される。
でも、自分の足で立てるかまだ自信がなかった
車がユトレヒトを通るならミスターFの所に寄るつもりだった。
残念ながらロッテルダム行きだ。
その後、2台の車をヒッチしてアントワープまで来た。
橋桁の下で野宿した。
翌早朝、運良く一発でマストリッヒ行きの車に拾われた。
その後すぐケルン行きのトラックが停まってくれた、ケルンだと遠回りになるので手前のドーレンで降りた。
まだ5時前だ。
途中から小雨が降ったりやんだりの嫌な天気だ。
2台の車を乗り継いでマインツの手前10キロ辺りまで来た、蒸し暑い。
9時を過ぎていた。
お天とう様はどっちにしようかまだ決めかねている。
フランクフルトまで5,60キロの距離だったので続けることにした。
こんな天気で野宿なんかしたくない。
30分後、アウデイに拾われた。
フランクフルトに向かっている、と言った。
疲れが飛んだ。
今朝アントワープを出発してここまでの距離が約600キロ、新記録、達成だ。
ドライバーの顎髯と口髭が約1cmの幅で書いたように繋がっていた、ネイヴィグリーンのシャツに、グレイのVネック、プルオーバーのセーターを着ている。
ズボンが赤のコーデロイで靴も赤だ。
色は然ることながら、横にいるだけで汗が出てきた。
10分ほどして本を差し出した。
「興味あるか?」
若者が裸で手を繋いでいる。
「興味ない」
気分を害したのか低く咳払いした。
お天とう様は決心したようだ。
外は霧雨だ。
車が路肩に止まった。
前を向いたまま言った。
「降りてくれ」
夕暮れも店閉まいだ。
見渡しても雨をしのげるような所は見当たらない。
ただ濡れた道路だけが、外灯を浴びて息づいている。
白地に赤くからアノラックを取り出した。
10時になろうとしていた。
たいして乗っていなかった。
路肩から少し離れて歩き出した。
白地に赤くがひどく重い。
1時間が経った。
雨宿りできるような場所はない。
リュックの重さが肩に食い込んだ。
アウディが頭から抜けない、、なんとなく悲しかった、リュックの重さより。
車が急ブーレーキをかけた。
40〜50m横滑りしながらスピンした。
なんとか止まった。
今にも壊れそうな古いシトロエンだ。
「どこ行くんだ?」
何事もなかったように言う。
何だ、こいつは、死んでいたかもしれないのに。
「大丈夫か!」
髮長の若いカップルだ。
「ああ、もちよ。
乗れよ。この雨、この時間で散歩のわけねぇだろう」
「パウロ、あれじゃない?
世界一周徒歩旅行とか、、、」
「そうなのか、何だ、そうなら止まって損した」
「違う!違うよ!何言ってんだ!、
ヒッチしてんだ!」
「分かってるわよ、冗談。
あなた、その赤い太陽のマーク、、、ジャパニーズ?」
「そう、どこに向かってるの?」
「どこに行きたいの?」
「どこに行きたいの、、、、、って。
連れてってくれるの?」
「ええ、車で行けるらどこでもいいわよ」
笑っている。
何だ、、彼等は。
「チューリヒに向かってるんだ」
「いいわよ、連れてってあげる。
でも夜通し走るわよ、覚悟して。私、ハイディ、僕、パウロ。そっちは?」
「耕二、よろしく」
アムステルダムからの帰りらしい。
「学生で春先から5か月間住んでいた」と言った。
彼らはオープンで自由で純粋だった、しかも底なしだ。
早朝、スイス国境が見えてきた。
パウロが仏語で国境の係官と話していた。
その後、別の係官とイタリア語で話し出した。
「パパはイタリア人、ママがフランス系スイス人だからイタリア語とフランス語だろう。
スイスはドイツにも接しているから、この三つは母国語」
ユースまで送ってくれた。
彼等がどこに向かっているのか、さっぱりわからない。
「ここから、どこに行くの?
俺のために来たのなら申し訳ないんだ。
頼むよ、教えてくれ」
「耕二、ここだよ」
「ええ、それはないだろう?」
「あるのよ」
ハイディが念を押すように言った。
電話番号をもらって別れた。
何だ!あいつら、、、。
アウディの嫌な思いをきれいに掃除してくれた。
街に出た、広いリマット川を挟んでオールドタウンがあった。
さしずめ(ストックホルム+ベルリン+アムステルダム)÷三−犬の糞=チューリヒだ。
2週間余りの出来事を整理しようとした。
無理だった。流れに身を任しているのに溺れそうだ。
そろそろ光もストックを出る頃だ、NYで再会できるのだろうか。
前日、オールドタウンで見つけた
「BLOW UP(ブロウアップ)」という名のパブ兼喫茶店に行った。
M・Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)の映画タイトルと同じだ。
ロックとジャズがかかっていた。
壁に1m大のビートルズの写真があった。
「彼らのハンブルグ時代にここまで足を伸ばして来たことがある。
ここでライブやったときの写真だ」
バーテンダーが誇らしげに言った。
そこには、リンゴスターを除く三人と別の顔があった。
おかしい。今日はジミヘンしかかからない。
「今日、ジャズかけないの?」
「知らないのか、ジミー・ヘンドリックス、昨日ロンドンで亡くなった。
今日はヘンドリックスしかかけないよ」
「亡くなった?どうして!」
「ドラッグだろう」
怒ったように吐き捨てた。
へラルド・トリビューに、
「原因不明、睡眠薬による窒息死か」とあった。
バイトを探すことにした。
久し振りにパウロに電話した。
「耕二、バイト探し手伝うよ。新聞に職業紹介所が載ってる。
可能性がありそうな所を書き出しておくから、明日、10時頃電話をくれないか?」
「ビザのない旅行者が行っていいのか?」
「可能性、自分で閉めるなよ。
情報ある所に当たるのがベストだろうが」
パウロが教えてくれた、駅近くのルーウェン・シュートラゼにある紹介所へ行った。
「皿洗いのバイトを探しています。
ここで働けるビザは持っていません。
どうか仕事、紹介していただきませんか?」
翌朝、トラム(路面電車)でチューリヒバーグを目指した。
紹介されたレストランの名はメーヴェンピック、市内から北北東、約15キロの郊外にあった。
11月初め、チャックとロバートはツアー旅行で帰国する英人に紛れてイビサ島からロンドン・ヒースロー空港に降り立った。
アールスコートのインド人が経営するB&B(Bed&Breakfast)に泊まって、ダラスに住む元大佐との接触を試みた。
3日目に繋がった。
チャックの存在を悟られたくなかったのでロバートが受話器を取った。
「グレン大佐か?」
「誰だ?」
「あんたを探すの苦労したぜ」
「誰だ!おまえは!」
「ティムだ。あんたの部下だったティム・ロビン、忘れたのか」
「ティム・ロビン?そんな名前は知らん」
「思い出したくもない名前は忘れるって訳か。
あんたに殺されたティムだよ、ベトナムのジャングルでな」
「一体何のことだ。切るぞ!」
「ティムから手紙もらってな、中に興味深いもんが入ってた。
100万$と交換したい」
「何を言ってる?」
「サンプルと楽しい会合場所の地図送るからそれ見て決めな。現金で、100$万用意しとけ、パーティは12月17日だ。場所は地図見て判断しな。現れなかったらすべて公表する。大騒ぎになるな」
「寝惚けたことを!おまえの名前は!」
「ティムって言っただろうが、17日に待ってる」
取り引き後の脱出に頭を痛めていたがサッカー好きのチャックが解決した。
会合場所はスペイン、マドリッドのベルナベウ・スタジアム内のコーヒーショップだ。
17日のバルセロナ戦、数万の観客に紛れ込むことにした。
11月半ば、二枚の写真と一枚のサッカー観戦の切符がロンドンから大佐の元に届いた。
ベトナム従軍中、カンボジアへ密かに行ったとき部下のティム・ロビンが撮影したパーティの写真だった。
彼はジャングルで始末したが、押収したフィルムはすり替えられていた。
大佐は、部下を動員してティム・ロビンの周辺を調べた。
12月初め、ティムの出身地とベトナム脱走兵をふるいにかけた。
それらしき男が浮かんできた。
その人物の写真とおおよそのバックグラウンドを入手した。
その男には右の耳たぶにほくろがあった。
ボブ・レノンに、ヨーロッパへ行って男を探すように命じた。
12月3日に出ることにした。
パウロ、ハイディが市内のレストランで送別会をしてくれた。
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