1b:キャラメル超特急:カシミール

Sweet Candy Express
1b.カシミール
機内を見渡した。
すべての乗客が信じられないぐらい柔和な顔をしている。
彼らは異様な空気の層の進入を認めたのか好奇の目で、シャワーを浴びた全身、汗でずぶ濡れの俺を見ていた。
また怒りが込み上げてきた。
どうしたら彼らを怒らせることができるのだ?と馬鹿なことを一心に考えた。
隣に座っている70前後の老人の嫌な波長を感じた。
横目で見ると、俺を睨んでいた。
彼の視線が下に移った。
汚れた俺のバックパックの支柱の金具が微かに老人の膝頭に当たっている。
これ以上、痛いのは堪らん。
足を折り曲げ窮屈そうに座っている。
バックパックを抱えたまま座っていた。
老人の怒った顔を見て怒りが納まってきたので戸惑った。
やがて怒りを和らげる手っ取り早い方法を発見したので楽しくなってきた。
自己中心的なとんでもない解決法だ。
相手が値すると思ったときしか応用すべきでない。
いや、相手に関係なく絶対にすべきではない!
謝った。
「バックパックをどこかに置いといてくれませんか?」
パーサーは知らんぷりして行った。
邪魔になるよう通路に置いた。
しばらくして戻ってきた彼は黙って運んでいった。
そうか、ここではそう仕向ければいいんだ。
老人はまだ俺を横目で睨んでいた。
東方から来た下等動物を初めて見たような好奇の目だ。
わあー、もう止めよう。
悪いほうにばっかり考えが行く。
素直に見れない。
唯の空気になるよう努めよう。
「満席だ」と男が言っていたのに空席がかなりあった。
やはり航空券のことは、俺から賄賂を取る算段だったのだ。
前方でパーサーが俺を指差していた。
黒スーツ姿の二人の男が彼に続いていた。
一人は2m近い長身で、片方は頭にターバンを巻いた、ずんぐりした体格だ。
俺の所に来てターバンが口を開いた。
「聞きたいことがあるんで一緒に来てくれ」
「これからカシミールに行くんですが、、、」
2mが俺の肩を二度、三度、軽く叩いた。
力づくでも連行する気だ。
2mとターバンに挟まれしかたなく歩き出した。
乗客の会話が耳に入ってきた。
「やっぱりあのジャパニーズはハイジャッカーだったのか。
飛行機に乗るときは彼らが乗っていないか確認したほうがいいな」
くたびれた机とやたら泣き叫ぶ三脚の折りたたみ椅子だけがある、窓のない殺風景な部屋に連行された。
俺が座らされた椅子はキーキー鳴き、ターバンのはグーと唸った。
その組み合わせに不安を感じた。
立っている2mの椅子がどんな音を出すのかひどく気になった。
俺の好奇の目に気づいたのか、
旨いスープを一気に飲んでため息を吐いたとき、器の底に湯で上がったゴキブリを発見したような顔をしたターバンが言った。
「何か楽しいことでもあるのか」
「飛行機に乗る前にも色々あったもんですからカシミールは地図より遠いんだな、と思いまして」
「パスポート見せてくれ。
それから、ここに指紋」
2mが俺の指紋を持って部屋から出て行った。
「早く来て座れ、2m」
日本語でささやいた。
正直なところ、ケチの連続でもうカシミールなんかどうでもよくなっていた。
もうなんでも楽しんでやる。
ターバンがパスポートを胡散臭そうに捲っている。
「ここまで来た経路?」
「NY(ニューヨーク)からアテネ、それからパキスタンのカラチ経由でボンベイです」
「カラチに寄った理由?」
「アテネからボンベイ直行の航空券を買ったのですが機体のトラブルでカラチに寄ると言われました。
去年、友達がこの便に乗ったときもおなじ理由でカラチに寄ったとか言ってましたよ。
この便は表向きは直行便でも実際はカラチ経由のとんでもない便です」
「君の意見は聞いてない」
突然ギーギーと苦しそうな音が後で鳴った。
いつ戻ったのか、2mが椅子を虐待している。
それからはキー、ギー、グーの三部合唱で俺は笑いをこらえるのに苦労した。
ターバンは、何だこいつは?
って険しい顔で俺を見た。
「カラチに2泊してるな」
「故障と言ったでしょう?
直行便の都合です。
しかたなくホテルに。
もちろん、直行便が払いました」
「ジャパニーズがなんであんな安い飛行機に?」
「安いのに乗っちゃいけませんか?」
「誰に会ったんだ?」
「カラチで?初めて行った所ですよ。
知り合いなんていません。
なんでここにいるのか教えてくれませんか。
カシミール行きはどうなるのかも」
「君は聞かれたことだけに答える。
飛行機は毎日飛んでるから心配いらん。
2度と言わんよ。
誰に会った?」
「カラチに知り合いはいません」
ターバンは机の引き出しからファイルを取り出した。
数ページめくって一枚の写真を抜き取った。
「旅行中この男を見かけなかったか?」
カラチまでおなじ飛行機で来た長髪のスイス人、ロシュトーだった。
眼鏡をかけていたが、写真ではサラリーマン風の髪型で眼鏡をかけていなかった。
カラチ空港から直接アンバサダホテル内のレストランに案内されたとき、円形の5人かけのテーブルに同席した。
哲学者のような印象を受けた。
余り喋りたくなかったのだろう、彼との会話は当たり障りのない話に終始した。
自信なげに小声で話した。
外観との落差がひどかった。
彼自身の話になると英語をあまり理解できないように装っていた。
インドに行く、と言っていた。
2日後のボンベイ行きの機内に彼の姿はなかった。
「写真に似ている男は数人いたような気はしますがはっきり覚えてません。
ヨーロッパ系は20人以上いましたから」
「よく見ろよ」
「覚えがないからいなかったですね」
「君の名はオカモト・コウゾウか」
「ええ」
「レバノンには」
「行ったか、って意味ですか。
いえ」
「難波大助(テルアビブ空港乱射事件の犯人・岡本公三が持っていたパスポートの名前)を知ってるか?」
「知りません」
「PLO(パレスチナ解放機構)、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)をどう思う?」
「待ってください。
もしかして俺をテルアビブ空港乱射事件の岡本公三と思っているんじゃないでしょうね。
彼はイスラエルで捕まっているじゃないですか!」
「今年、5月16日にスイスのジュネーブで釈放された。
PFLPの捕虜になっている3名のイスラエル兵士とイスラエル獄中の1050人のパレスチスナ人と交換にな」
「そうでしたか。
でも俺はそのオカモトコウゾウではありませんよ。
それで調べたんすか?」
「君のような汚いなりをしたヒッピーくずれのジャパニーズはみんな調べている。
それに君は彼らと世代が大体おなじようだしな。
名前を変えたほうがいいかもな」
たぶんそうだろうと思っていたが案の定だ。
この5年間、旅をしていなかったので忘れていたが、昔旅をしていた頃の嫌な記憶が蘇った。
赤軍の岡本公三と間違えられ、彼がイスラエルで逮捕され終身刑を受けているにもかかわらず、俺は国境を通過するたびに移民局で足止めを食った。
「発音はおなじでも俺の名は岡元耕三で字が違うんだ!」
と、初めの頃はむきになって説明した。
どこの国の移民官も取り合ってくれなかった。
指紋、写真、そして質問、別人と分かるまで俺は拘留された。
ロンドンからトロントに行ったときはひどかった。
たまたまトロントに着いた日がユダヤの祝日、ヨム・キプール(贖罪の日・9月20〜29日)と重なった。
空港内の移民局施設で2日間拘留された。
容疑が晴れても入国は許されず、出発地のロンドン・ヒースロー空港に送り返された。
カナダ側から、疑わしい人物、という通知でもあったのだろうか、ロンドンでも入国を拒否された。
ロンドン在住のスイス人の友達が身元引受人になってくれたのでなんとか強制送還を免れた。
今回もニューヨークからアテネ、インドのボンベイに入るとき、移民官に入念にチェックされた。
アテネの旅行代理店でボンベイまでの航空券を探しているとき、受付が俺の名前を聞いて密かにポリスを呼んだほどだ。
あれは、5月に岡本公三がPLOとの捕虜交換で釈放されていたためだったのだ。
ターバンに言われるまでもなく名前を変えたいぐらいだ。
「その写真の男は何をやったんです?」
ターバンとはもう話したくなかったので、俺は後ろの2mに聞いた。
彼が話し出そうとしたところでターバンが阻止した。
「君はカシミールに今日中に行けるかどうかを心配したほうがいい」
4時間後、解放された。
カシミールのスリナガールに向かった。
仏の極左組織 AD(アクシ ン ティレクト)元メンバーだったジャン メルク・トトことロシュトーは、
ジャム・カシミール独立を目指す独立戦線の助けでカラチからラホール、ワガー経由で陸路カシミールを目指した。
もう5年以上、ADを離れていた。
ここ数年は小人数の革命細胞を組織し、環境保護、動物愛護の路線に絞って破壊活動をしていた。
ドイツ赤軍(RAF)、ADなど底辺の細胞組織に始まり頂点の政 治局へと収束していくこれまでの左翼革命組織と違って、革命細胞は統括する中央組織、リーダー、アジトはなく、臨機応変に5〜7人のグループで破壊活動をした。
テレビのニュースで攻撃目標を決定する場合もあった。
このほうがテロリズム防止法の制定とコンピューター導入で、電気、電話の支払いまで入念にチェックされ、以前ほど身動き取れなくなっていた時世に合っていた。
AD時代は、NATO関連施設、軍産複合体関連施設、政治家、大使館上級職員、を狙って破壊活動をした。
成果ははかばかしくなかった。
民衆からはそっぽを向かれ嫌われた。
彼らの支持なしで活動する愚かさを嫌になるほど経験した。
そのため革命細胞の破壊活動はできるだけ夜中に敢行した。
人の殺傷は絶対に避けるという不文律を作った。
しかし、ロシュトーはそれにも限界を感じ始めていた。
崩壊状態のイタリア・赤い旅団(BR)、
ドイツ赤軍メンバーの避難場所として、
『インド・カシミール、スリナガールの独立戦線』、
『ビルマのカレン族』、
『スリランカのタミール・イーラム解放の虎(LTTE)』
を利用できないか可能性を探ってくれ、
とかってのADメンバーに頼まれてアジアに来た。
ADを離れてここ数年活動していないロシュトーなら、
インターポール(国際刑事警察機構)の目を誤魔化せるのでは、というのが彼らの考えだった。
これまで大量の逮捕者を出し、
3度の組織破壊の危機をなんとか乗り切ったドイツ赤軍(RAF)と
その最盛期の78年、政治家アル ド・モロの誘拐殺害の後、イタリア政府の厳しい追求にあい、
今では壊滅寸前にまで追いつめられた赤い旅団(BR)の避難場所として、
たしかにアジアは考慮すべき所だとロシュトーは感じていた。ヨーロッパから陸路、LARF(レバノン武装革命分派)の助けで行き来も可能だった。
しかし、テロ活動自体、我々の政治運動型テロリズムと彼らの民族独立闘争テロリズムという大きな違いがあった。
19世紀のアナキズム(無政府主義)を夢想する組織、
マルクス・レーニン主義、もしくはその変形である革命思想を掲げる都市型テロリズムを彼らはどうみているのだろう?
帝国主義、西欧資本主義、既存の社会体制を倒すのを目標としているものの、
これに代わるべき社会システムを描き出せないでいる我々をどうみているのだろう。
我々との接点はあるのだろうか?
それに、RAF AD、 BR、の中核メンバー、
破壊分子を含め500人にも満たない組織に、
何万もの構成員を持つ組織が相手にしてくれるのか。
半年前、ADに頼まれたときは、
AD、RAFの政治家、実業家、誘拐殺害に内心、嫌悪していたので断った。
彼らの存在自体、必要悪だと信じて引き受けた。
ヨーロッパを久しぶりに離れたせいか今は後悔していた。
この旅が徒労に終わりそうな気がしてならなかった。
もう、イデオロギー、政治形態で争う時代ではないように思えた。
破壊活動よりもっと平和的な積極的な手段があるのではないだろうか、外からではなく内に入って。
昔の自分の写真がインターポールから各国に配布されているはずだ。
捕まることだけは避けなければ。
1b.カシミール
機内を見渡した。
すべての乗客が信じられないぐらい柔和な顔をしている。
彼らは異様な空気の層の進入を認めたのか好奇の目で、シャワーを浴びた全身、汗でずぶ濡れの俺を見ていた。
また怒りが込み上げてきた。
どうしたら彼らを怒らせることができるのだ?と馬鹿なことを一心に考えた。
隣に座っている70前後の老人の嫌な波長を感じた。
横目で見ると、俺を睨んでいた。
彼の視線が下に移った。
汚れた俺のバックパックの支柱の金具が微かに老人の膝頭に当たっている。
これ以上、痛いのは堪らん。
足を折り曲げ窮屈そうに座っている。
バックパックを抱えたまま座っていた。
老人の怒った顔を見て怒りが納まってきたので戸惑った。
やがて怒りを和らげる手っ取り早い方法を発見したので楽しくなってきた。
自己中心的なとんでもない解決法だ。
相手が値すると思ったときしか応用すべきでない。
いや、相手に関係なく絶対にすべきではない!
謝った。
「バックパックをどこかに置いといてくれませんか?」
パーサーは知らんぷりして行った。
邪魔になるよう通路に置いた。
しばらくして戻ってきた彼は黙って運んでいった。
そうか、ここではそう仕向ければいいんだ。
老人はまだ俺を横目で睨んでいた。
東方から来た下等動物を初めて見たような好奇の目だ。
わあー、もう止めよう。
悪いほうにばっかり考えが行く。
素直に見れない。
唯の空気になるよう努めよう。
「満席だ」と男が言っていたのに空席がかなりあった。
やはり航空券のことは、俺から賄賂を取る算段だったのだ。
前方でパーサーが俺を指差していた。
黒スーツ姿の二人の男が彼に続いていた。
一人は2m近い長身で、片方は頭にターバンを巻いた、ずんぐりした体格だ。
俺の所に来てターバンが口を開いた。
「聞きたいことがあるんで一緒に来てくれ」
「これからカシミールに行くんですが、、、」
2mが俺の肩を二度、三度、軽く叩いた。
力づくでも連行する気だ。
2mとターバンに挟まれしかたなく歩き出した。
乗客の会話が耳に入ってきた。
「やっぱりあのジャパニーズはハイジャッカーだったのか。
飛行機に乗るときは彼らが乗っていないか確認したほうがいいな」
くたびれた机とやたら泣き叫ぶ三脚の折りたたみ椅子だけがある、窓のない殺風景な部屋に連行された。
俺が座らされた椅子はキーキー鳴き、ターバンのはグーと唸った。
その組み合わせに不安を感じた。
立っている2mの椅子がどんな音を出すのかひどく気になった。
俺の好奇の目に気づいたのか、
旨いスープを一気に飲んでため息を吐いたとき、器の底に湯で上がったゴキブリを発見したような顔をしたターバンが言った。
「何か楽しいことでもあるのか」
「飛行機に乗る前にも色々あったもんですからカシミールは地図より遠いんだな、と思いまして」
「パスポート見せてくれ。
それから、ここに指紋」
2mが俺の指紋を持って部屋から出て行った。
「早く来て座れ、2m」
日本語でささやいた。
正直なところ、ケチの連続でもうカシミールなんかどうでもよくなっていた。
もうなんでも楽しんでやる。
ターバンがパスポートを胡散臭そうに捲っている。
「ここまで来た経路?」
「NY(ニューヨーク)からアテネ、それからパキスタンのカラチ経由でボンベイです」
「カラチに寄った理由?」
「アテネからボンベイ直行の航空券を買ったのですが機体のトラブルでカラチに寄ると言われました。
去年、友達がこの便に乗ったときもおなじ理由でカラチに寄ったとか言ってましたよ。
この便は表向きは直行便でも実際はカラチ経由のとんでもない便です」
「君の意見は聞いてない」
突然ギーギーと苦しそうな音が後で鳴った。
いつ戻ったのか、2mが椅子を虐待している。
それからはキー、ギー、グーの三部合唱で俺は笑いをこらえるのに苦労した。
ターバンは、何だこいつは?
って険しい顔で俺を見た。
「カラチに2泊してるな」
「故障と言ったでしょう?
直行便の都合です。
しかたなくホテルに。
もちろん、直行便が払いました」
「ジャパニーズがなんであんな安い飛行機に?」
「安いのに乗っちゃいけませんか?」
「誰に会ったんだ?」
「カラチで?初めて行った所ですよ。
知り合いなんていません。
なんでここにいるのか教えてくれませんか。
カシミール行きはどうなるのかも」
「君は聞かれたことだけに答える。
飛行機は毎日飛んでるから心配いらん。
2度と言わんよ。
誰に会った?」
「カラチに知り合いはいません」
ターバンは机の引き出しからファイルを取り出した。
数ページめくって一枚の写真を抜き取った。
「旅行中この男を見かけなかったか?」
カラチまでおなじ飛行機で来た長髪のスイス人、ロシュトーだった。
眼鏡をかけていたが、写真ではサラリーマン風の髪型で眼鏡をかけていなかった。
カラチ空港から直接アンバサダホテル内のレストランに案内されたとき、円形の5人かけのテーブルに同席した。
哲学者のような印象を受けた。
余り喋りたくなかったのだろう、彼との会話は当たり障りのない話に終始した。
自信なげに小声で話した。
外観との落差がひどかった。
彼自身の話になると英語をあまり理解できないように装っていた。
インドに行く、と言っていた。
2日後のボンベイ行きの機内に彼の姿はなかった。
「写真に似ている男は数人いたような気はしますがはっきり覚えてません。
ヨーロッパ系は20人以上いましたから」
「よく見ろよ」
「覚えがないからいなかったですね」
「君の名はオカモト・コウゾウか」
「ええ」
「レバノンには」
「行ったか、って意味ですか。
いえ」
「難波大助(テルアビブ空港乱射事件の犯人・岡本公三が持っていたパスポートの名前)を知ってるか?」
「知りません」
「PLO(パレスチナ解放機構)、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)をどう思う?」
「待ってください。
もしかして俺をテルアビブ空港乱射事件の岡本公三と思っているんじゃないでしょうね。
彼はイスラエルで捕まっているじゃないですか!」
「今年、5月16日にスイスのジュネーブで釈放された。
PFLPの捕虜になっている3名のイスラエル兵士とイスラエル獄中の1050人のパレスチスナ人と交換にな」
「そうでしたか。
でも俺はそのオカモトコウゾウではありませんよ。
それで調べたんすか?」
「君のような汚いなりをしたヒッピーくずれのジャパニーズはみんな調べている。
それに君は彼らと世代が大体おなじようだしな。
名前を変えたほうがいいかもな」
たぶんそうだろうと思っていたが案の定だ。
この5年間、旅をしていなかったので忘れていたが、昔旅をしていた頃の嫌な記憶が蘇った。
赤軍の岡本公三と間違えられ、彼がイスラエルで逮捕され終身刑を受けているにもかかわらず、俺は国境を通過するたびに移民局で足止めを食った。
「発音はおなじでも俺の名は岡元耕三で字が違うんだ!」
と、初めの頃はむきになって説明した。
どこの国の移民官も取り合ってくれなかった。
指紋、写真、そして質問、別人と分かるまで俺は拘留された。
ロンドンからトロントに行ったときはひどかった。
たまたまトロントに着いた日がユダヤの祝日、ヨム・キプール(贖罪の日・9月20〜29日)と重なった。
空港内の移民局施設で2日間拘留された。
容疑が晴れても入国は許されず、出発地のロンドン・ヒースロー空港に送り返された。
カナダ側から、疑わしい人物、という通知でもあったのだろうか、ロンドンでも入国を拒否された。
ロンドン在住のスイス人の友達が身元引受人になってくれたのでなんとか強制送還を免れた。
今回もニューヨークからアテネ、インドのボンベイに入るとき、移民官に入念にチェックされた。
アテネの旅行代理店でボンベイまでの航空券を探しているとき、受付が俺の名前を聞いて密かにポリスを呼んだほどだ。
あれは、5月に岡本公三がPLOとの捕虜交換で釈放されていたためだったのだ。
ターバンに言われるまでもなく名前を変えたいぐらいだ。
「その写真の男は何をやったんです?」
ターバンとはもう話したくなかったので、俺は後ろの2mに聞いた。
彼が話し出そうとしたところでターバンが阻止した。
「君はカシミールに今日中に行けるかどうかを心配したほうがいい」
4時間後、解放された。
カシミールのスリナガールに向かった。
仏の極左組織 AD(アクシ ン ティレクト)元メンバーだったジャン メルク・トトことロシュトーは、
ジャム・カシミール独立を目指す独立戦線の助けでカラチからラホール、ワガー経由で陸路カシミールを目指した。
もう5年以上、ADを離れていた。
ここ数年は小人数の革命細胞を組織し、環境保護、動物愛護の路線に絞って破壊活動をしていた。
ドイツ赤軍(RAF)、ADなど底辺の細胞組織に始まり頂点の政 治局へと収束していくこれまでの左翼革命組織と違って、革命細胞は統括する中央組織、リーダー、アジトはなく、臨機応変に5〜7人のグループで破壊活動をした。
テレビのニュースで攻撃目標を決定する場合もあった。
このほうがテロリズム防止法の制定とコンピューター導入で、電気、電話の支払いまで入念にチェックされ、以前ほど身動き取れなくなっていた時世に合っていた。
AD時代は、NATO関連施設、軍産複合体関連施設、政治家、大使館上級職員、を狙って破壊活動をした。
成果ははかばかしくなかった。
民衆からはそっぽを向かれ嫌われた。
彼らの支持なしで活動する愚かさを嫌になるほど経験した。
そのため革命細胞の破壊活動はできるだけ夜中に敢行した。
人の殺傷は絶対に避けるという不文律を作った。
しかし、ロシュトーはそれにも限界を感じ始めていた。
崩壊状態のイタリア・赤い旅団(BR)、
ドイツ赤軍メンバーの避難場所として、
『インド・カシミール、スリナガールの独立戦線』、
『ビルマのカレン族』、
『スリランカのタミール・イーラム解放の虎(LTTE)』
を利用できないか可能性を探ってくれ、
とかってのADメンバーに頼まれてアジアに来た。
ADを離れてここ数年活動していないロシュトーなら、
インターポール(国際刑事警察機構)の目を誤魔化せるのでは、というのが彼らの考えだった。
これまで大量の逮捕者を出し、
3度の組織破壊の危機をなんとか乗り切ったドイツ赤軍(RAF)と
その最盛期の78年、政治家アル ド・モロの誘拐殺害の後、イタリア政府の厳しい追求にあい、
今では壊滅寸前にまで追いつめられた赤い旅団(BR)の避難場所として、
たしかにアジアは考慮すべき所だとロシュトーは感じていた。ヨーロッパから陸路、LARF(レバノン武装革命分派)の助けで行き来も可能だった。
しかし、テロ活動自体、我々の政治運動型テロリズムと彼らの民族独立闘争テロリズムという大きな違いがあった。
19世紀のアナキズム(無政府主義)を夢想する組織、
マルクス・レーニン主義、もしくはその変形である革命思想を掲げる都市型テロリズムを彼らはどうみているのだろう?
帝国主義、西欧資本主義、既存の社会体制を倒すのを目標としているものの、
これに代わるべき社会システムを描き出せないでいる我々をどうみているのだろう。
我々との接点はあるのだろうか?
それに、RAF AD、 BR、の中核メンバー、
破壊分子を含め500人にも満たない組織に、
何万もの構成員を持つ組織が相手にしてくれるのか。
半年前、ADに頼まれたときは、
AD、RAFの政治家、実業家、誘拐殺害に内心、嫌悪していたので断った。
彼らの存在自体、必要悪だと信じて引き受けた。
ヨーロッパを久しぶりに離れたせいか今は後悔していた。
この旅が徒労に終わりそうな気がしてならなかった。
もう、イデオロギー、政治形態で争う時代ではないように思えた。
破壊活動よりもっと平和的な積極的な手段があるのではないだろうか、外からではなく内に入って。
昔の自分の写真がインターポールから各国に配布されているはずだ。
捕まることだけは避けなければ。
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