下:1キャラメル バンクーバーこのエントリをはてなブックマークに登録

下巻、続
キャラメル超特急
Sweet Candy Express                  


この物語はdrugが副次的な主題です。
嫌悪される方はskipを、


概要 
 
耕三とアランは、ロシュトー暗殺の黒幕、駐仏カナダ大使、レジナルド・ダリを、滞在先のNYでコカインオーバードース(吸飲過多)に見せかけて殺そうとする。
二人は、彼のボーイフレンド、クリストファー・リーが、NYチャイナタウン・福建省ボスのコカイン運び屋をやっているのを偶然目にする。
二人はそのコカインを盗むことにした。
仏大使が黒幕で、チャイニーズギャングが殺したように画策した。
失敗したら刑務所行きの際どい作戦だった。

トロントの孤児院で育ったアランは、11歳の時、母親のように面倒を見てくれたカレン族の女性ラムの為に生きようと決心した。
以来、命に関わるような危険な時に、キャット・ステーヴンス(Cat Stevens)の《Wild World》の曲が聞こえてきた。
ラムがこの曲で知らせてくれていると感じた。


1:バンクーバー
2:再会
3:拳銃
4:狙撃
5:手紙
6:復讐
7:NY
8:ブルース・リー
9:小津安二郎
10:チャイニーズ・ギャング
11:パラディウム
12:スキンヘッド
13:ある計画
14:続・計画
15:テキーラ
16:ラッキーエイト
17:コカイン盗み
18:ホームレス
19:コカイン
続下20:殺人
  21:セントラルパーク・ジャングル
  22:旅人
  23:外交問題
  24:捜査難航
  エピローグ

主な登場人物  

岡本耕三: 日本の旅人  
ロシュトー(ジャン・メルク・トト): 元仏極左組織・AD(アクシ ン ティレクト)メンバー
アラン: カナダ人、元ヘロイン運び屋。現在、探偵  
モモ:アランの子ども
マコト:アランの妻
ラム: バンクーバーの孤児院で働いていたビルマ、カレン族の女性 
カルロス・リオン: トロント・ギャングボス  
リュウ・T:童恩正の息子  
レジナルド・ダリ: 駐カナダ仏大使  
クリストファー・リー: NY大の仏人学生
童恩正(トニー・トンエンチャン): NY福建青年ギャングボス。  
陸定駿(ルーリャチュン): NYチャイナタウン・安良堂ゴッドファーザー  
王暁達(エディ・ワンシャオター): NYチャイナタウン・飛龍ギャングボス  
チキート:NY・ラテン ギャングボス
テキーラ(プロ):チキートの部下
佐伯 守: 針金細工、露天商  
城 賢一: 針金細工、露天商 
ラシッド: インド・カシミール戦線メンバー  
アミール: インド・カシミール戦線メンバー  
 


(上巻と一部重複)


空気、水、ミソ汁、ミルク
昨日の新聞とモメントの集合体
信じられるのは一瞬
かなしく
おちこみ
ふるえ
くるおしく
おどって
さけんで
きえたくなる
夕焼け、、、
太陽、、、
おまえの笑顔
キャンディー
スウィート・キャンディだ!


俺はこの10年あまり長崎を拠点に、
週3日から4日、日雇いのアルバイトをして生きていた。
年に一度、東南アジア、インド、ネパールへ予定期間なし、
金がなくなるまでの気ままな旅をするにはうってつけの仕事だった。

いつものように朝7時過ぎ、
三毛猫の小百合ちゃんの尻尾で起こされた。
彼女、なぜかこの時間になると俺の顔を尻尾でたたいて起こそうとした。
それでも起きないと、耳元で恐怖のゴロゴロと鼻息だ。
10m以上離れていても聞こえてくる大きな音だったのでいつも目が覚めた。
ゴロゴロは天性のもので、
鼻息は彼女が生まれてまもない頃、
風呂に入れて風邪を引かせたためだ、、と思っている。
それにしても8年だ、、、長い風邪だ。 

彼女のお尻を数分間ピンピン叩いてやった後、
郵便受けから新聞を取り出した。
邪魔されないように広告のちらしの上に彼女を誘導した。
今日は機嫌がいい、素直だ。
蒲団に腹這いになって三面記事を広げた。

築25年の4階建て、1DK、家賃2万、
ひび割れ、雨漏りあり。
このビルとおなじような記事が相変わらず並んでいる。
今日はおもしろいのがあった。

《針金細工師・麻薬密売に関係》 
全国の祭りを渡り歩き、アクセサリー類を路上で販売していた佐伯守・40歳と城賢一・41歳の二人は、
15年に渡り、大麻、ハシシ、ヘロインを東南アジア、
ネパール、インド各国から不法に取り寄せ独自のルートで売り捌いていた。
彼らの供述から、背後に大がかりな密輸入組織、
並びに麻薬密売組織の存在が明らかになった。
これまで判明しただけで末端価格、
約4億円余りを荒稼ぎしていた。
警視庁はインターポール(ICPO、国際刑事警察機構)を通じて関係各国に数十人の身元を照会している模様。 

いつのまにか小百合ちゃん、俺の腰の辺りに寝転がっていた。
こうなると、大変だ。
どかそうものなら背中に爪を立てる。
困った、お姫さんだ。

電話が鳴ったので受話器を取ろうとした。
やられた。
少し浅いが適当に痛い。
バンクーバーで探偵稼業をしているアランの声が響いた。
「耕三、起きてたか」
「どうした」
「ぶらぶらしてるならこっちに来れないか。
ロシュトーが昔の仲間に狙われているようなんだ」
「狙われてる?
俺が行って手助けになるか?」
「ロシュトーはボディガートを雇う気はない。
殺されるのを待っているようにも見える。
警察は駄目だし、俺たち以外、誰もいない。
できるだけ早く来てほしいんだが」

旅に出るときは、大家の浜田のお婆ちゃんに小百合ちゃんを預けていた。
大家にはディカプリオという9歳になる黒猫の息子がいた。
8歳の小百合ちゃんとは恋仲だったが、
最近、浜田光夫から浜田ディカプリオに改名してなぜか彼女によそよそしくなっていた。
カタカナの名前になって優越感を持ったようだ。
あんな中身のない猫なんか気にすんな、
と小百合ちゃんに諭して、3日後、バンクーバーに向かった。
 

仏極左組織AD(アクション・ディレクト)元メンバーだったジャン・メルク・トトことロシュトーは、
カナダ・オタワにある仏大使館に出頭した。

仏の刑務所で刑に服した後、カナダ・バンクーバーに渡り、アンドリュー・キャラハンという名で密かに生活していた。仏、カナダ両国政府の密約によるものだった。

ロシュトーはAD・革命細胞の情報を交換条件に、
刑期の短縮、釈放後のカナダ移住の司法取り引きを仏政府と交わした。
カナダ側の見返りは、カナダおよび仏国内のケベック州・分離独立を目指す過激派、及びその支援組織の情報を仏政府から得ることだった。
すべて、ロシュトーの思うようにことは運んだ。
しかし、カナダ移住に関して但し書きが添えられていた。

《ジャン・メルク・トトことアンドリュー・キャラハンに不測の事態が生じようともカナダ政府、警察は一切関知しない》

元テロリストに移住の権利を認めたが、
身を守るのに警察を当てにするなということだった。
先週、差出人の名前、住所が書かれていない一通の手紙がモントリオールから届いた。

『 親愛なるアンドリュー・キャラハン(Dear Andrew Callaghan)  
Francoise de Rocher  
Gustave Galle  
Stella Kupferberg 
Marjorie Graham   
Peter Paul Matsys  
Antoine Sanzio  
Jhon Ricardo               
Jacqueline Morton  
Thomas Malsberg  
Jean Francois Seurat  
Donald Kauffman  
Rino Dussi  
Rosalyn Stern  
Gregory de Rocher  
Bernice Melvin  
Robert Brock  
Jean Louis Imbert  
Pierre Ducasse  
Monique Gagnaire  
Claude Buonarroti 

ジャン・メルク・トト、これらの名前はおまえの情報でなんらかの苦しみ、被害を被った、AD、革命細胞、
およびケベック州分離独立過激派組織メンバー、
協力者、計20名の名前だ。
殺し屋を既に送った。
この復讐は、おまえの死をもって償われる』

 
1.バンクーバー、


運び屋を卒業したアランはガスタウン(GASTOWN、バンクーバー)で探偵事務所をや っていた。
ロシュトーの部屋を訪ねた。

月に三、四日、仕事が遅くなったときなど、
彼の3LDKの使っていない部屋をホテル代わりに利用していた。
ロシュトーは、昼間、コンピユーター,
夜は酒を飲む生活をしていた。
完全に”おたく”さんだ。
部屋に閉じ込もりがちな彼の様子を見るには好都合だった。

数か月に一度の割合で、家族が住んでいるウィスラーにロシュトーを連れて行った。
スキー、ゴルフ、スポーツにはまるっきり興味がないようで、いつも娘のモモの相手をして遊んでいた。

アランがドアを開けたとき、彼は既にできあがっていた。
二、三杯付き合った後、
居間のソファに寝込んでしまったのでベッドルームまで運んだ。
たまたまベッド脇サイドテーブルの上に広げられてあった手紙の最後の行が、アランの目に入った。
手紙の消印の日付は10日前だった。
彼は一週間近くも放置しておいたのだ。

翌朝、午後近くになって起きてきたロシュトーに手紙のことを訊ねた。
「なぜすぐ連絡してくれなかった?」
「、、、何を?」
「ベッド脇の手紙」
「、、見たのか、、
あれはジョークだと思っている」
「まったく、、、自分の命がかかってるんだぜ。
今まで何も起きなかったのが不思議なくらいだ。
なぜケベック州分離独立過激派の名前が?」
「俺の移住の見返りとしてカナダ側が要求してきた、
と弁護士が言ってたな」
「警察は相手にしてくれないんだな」
「身から出た錆びだ。
俺がやったこと自体、誉められたことじゃない。
文面の中に何人か知人がいる。
彼らは俺よりひどい目に遭っただろうな。
信用はもちろんのこと、
職、地位を追われて自殺した人も何人かいると聞いた」
「遺産が入ったんで金はあるんだろう。
それで耕三を呼ぶよ。
何かうまい手がないか考えよう」
「好きにしてくれ。
あの世には持って行けないからな」
「もう棺桶を注文したような言い方だな。
今夜から俺ここに泊まるよ。
いいだろう?」
「好きにしてくれ」
「外出は耕三が来るまで控えてくれ。
当分、食事は出前になる」

theme : 連載小説
genre : 小説・文学

下:2キャラメル 再会このエントリをはてなブックマークに登録

下 キャラメル超特急
Sweet Candy Express

2:再会



バンクーバー・ダウンタウン南東、
ビーチ通り4階建てマンション3階にあるロシュトーの部屋で再会した。
2年前ロシュトーが釈放された時、以来だ。

アランの両肩と上腕部の筋肉が,スーツから小踊りして出ていた。
ロシュトーは目、顔、腹、体中が運動不足だ。

殺し予告の手紙を見た。

「心当たりは?」
「昔の仲間かもな」
「公にはロシュトーはまだ務所の中だ。
情報が漏れない限りここの住所を探し出すのは難しい」
「名前の番号は?」
「仲間と区別するためにロシュトーが付けた」
「昔の仲間とケベック過激派に繋がりはあるのか?」
「同士だと思ったことはない。
向こうも同じだろう」
「どれが仲間でどれがケベックか分かる?」
「13から20は知らんな」
「ケベックか。仏がカナダ側に与えた情報だな。
他には?」
「1から12の名前の順序が、仏で弁護士と検察に見せられたのとは違う」
「よく覚えてるな」
「仲間を売ったんだ」
「じゃあ、この手紙の順序に記憶は?」
「オタワの大使館で尋問された時のA4の順だな。
口述筆記したのを見せられた」
「オタワ?」
「ああ」
「お前が言った名前を、尋問者が口述筆記した時の順序?」
「ああ」
「他には?」
「スペルの違うのがあるな。
2番はGalleではなくGale。
7はJohn、9はTomasだ」
「分らなくなってきたな。
仏で弁護士、検察に見せられたリストのスペルは?
正しかった?」
「俺が指摘したからな。
仏での尋問の時、間違っているのに気づいた」
「間違いを指摘したのは仏に送られてか?」
「ああ」
「なぜ、オタワの尋問の時、言わなかった?」
「そこまで見るか。
その気になるか?」
「お前、誰が出したか心当たりがあるんだろう?」
「、、、、」
「ロシュトー、お前、命を狙われてんだぞ」

アランが早口で言った
「尋問者の名は?」
「レジナルド・ダル(Reginald Dalle)だったか」

「アラン、その男を調べられるか」
「お安い御用だ」 

アランは居間の隅のロシュトーのパソコンをしばらく見ていた。
公衆電話が無難だと思ったのか部屋から足早に出ていった。

アランの情報源は、トロント・マフィア・ボス、カルロス・リオンだった。
トロントの孤児院で、8歳年上のカルロスはアランを弟のように可愛がった。 


バンクーバーの建設現場で働いていた。
偶然、信号待ちで止まったリムジンから自分の名前が飛んできた。
「おい、黙って後ろに乗れ!」
黒くシールされた後部座席の窓ガラスが下がった。
男に見覚えがなかったので仕事を続けた。
男がリムジンから降りてきた。
「世話が焼けるな。
アラン!俺だ。
カルロスだ!
最後に会ったのはお前が7、8歳だったか。
覚えてないか!」
「、、、、、カルロス兄さん!」
「もう何年だ、、10年ぐらいになるか。
3、4年前だったか、そろそろ出る頃だと会いに行ったんだぞ。
ラムが死んでから行方知れずだと聞かされた」 

その夜、カルロスの部屋で食事をしながら、
ラムのこと、孤児院を脱走してから7年余りの孤独な生活を話した。
カルロスはトロント・マフィアのいい顔になっていた。
「まともな仕事じゃないが俺の仕事を手伝わんか」
「ラムのために何かしたい。
ビルマのカレンに行こうと決めた」

その後、アランはカルロスの再三の忠告を無視して、
カレン独立資金を得るためヘロインの運び屋を始めた。
カルロスが、パスポート、卸し先など最大限、危険を回避する措置を講じてくれた。


「銃もボディガードも必要ないって言ったらしいな」
「手紙はジョークだ。
耕三、アランのいうボディガードが誰だか聞いたか?」
「いや」
「マフィアだぞ」
「マフィアに護衛されるのは嫌か」
「とにかくジョークだ。
護衛は必要ない」
「お前、殺されるのを待っているのか?」
「馬鹿な。
俺は自首までして10年も務所に入ってたんだ。
自由になるためにな」
「釈放後、子どもに会ったのか?」
「、、、子ども?、、、いや」

オタワで出頭した時、ロシュトーには5歳になる女の子がいた。
彼の妻は、パリ工科大学院で素粒子の研究をしていたロシュトーが、
AD、革命細胞のメンバーだったとは逮捕時まで知らなかった。
面会に来ることもなく、署名が必要な離婚同意書だけを送ってきた。
釈放後、ロシュトーは彼らの居場所を探さなかった。

「友人、知人、多くの人を売った。
償わんことには前に進めん。
しかし、どう償っていいのか分からん。
司法取り引きすべきではなかった。
潔く30年の刑に服すべきだった」
「30年だったのか?」
「銀行強盗。
NATO(北大西洋条約機構)施設、
軍事関連企業の建物の爆破。
巻き添えで不具の体になった人が数人いると聞いた。
殺しだけはやらなかった、いや、間接的にやってたな。
そのうえ、仲間、親しい人、世話になった人を売った。
タイであんたたちに会って出直そうと決心した。
その後だ!
保身のために売ったのは。
後悔なんて昔はしなかったのにな。
耕三、正直に答えてくれ。
自分だけのために生きてきた俺を許せるか」
「家族、知人が犠牲になっていたら許せないな」
「こんな俺をガードしてなんになる」
「殺されるのを待っているのか?
償おうという気があるなら生き続けろ。
何ができるか探し出せよ」
 

theme : 連載小説
genre : 小説・文学

下:3キャラメル 拳銃 このエントリをはてなブックマークに登録

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Sweet Candy Express

3:拳銃



「面白いことが分かった。
レジナルドは、1ヶ月前、43歳でカナダ大使に任命されたばかりだ。
カナダ・オタワ仏大使館在職中、
極左組織AD元メンバー、ジャン・メルク・トトの逮捕に多大な貢献。
その功績により外務省エリートコースを歩む。
一男一女の子どもがいるが妻とは離婚。
ワシントンDC、ニューヨーク、ローマ、前赴任地のブラジルに男の恋人が存在」
「ロシュトー、この男はどんな奴か憶えてるか?」
「大使館で一週間そこらしか接触しなかったのでな。
俺のためによくやってくれたと記憶してる」
「お前、何か隠してないか?」
「司法取り引き、カナダ移住を持ちかけられた。
仏に護送された後はすべて彼の予測どおりにことが運んだ。
たいした奴だと感心した覚えがあるな」
「司法取り引きはこいつの案か!」 
「ケベック過激派の件は知らんが、他はな」
「耕三、黒幕がこいつなら辻褄が合うよ!
ケベックの件はレジナルドがカナダ政府に貸しを作ったんだ。
大使に任命されたのもカナダ側の意向が働いた可能性も否定できない。
昔の組織かケベック過激派にロシュトー暗殺を依頼をした」
「なぜ依頼した?
むしろ、レジナルドが一人で暗殺を仕組んだ、どうだ?
そもそもこいつの案だ、それを知ったらレジナルトを生かしておくか、特にケベック過激派は許さないだろう。
ロシュトーさえいなくなれば安全だ」
「確かにな。
でも、なぜ警告してきたんだろう。
殺すには警告なしのほうが簡単だろう」
「ロシュートの性格を見抜いているんだ。
警告されてドタバタ逃げるような人間じゃないってな。
殺されるのを待っているんじゃないかともな」

ロシュトーが俺の顔を見て、くっくっ、と笑った。
笑ったのを見たことがなかったので俺たちは目を丸くした。

「耕三、いい線行ってるが殺し屋は相当の腕利きだと思う。
警告は関係ないぐらいのな」
「アラン、情報屋はマフィアか」
「ロシュトーに聞いたか。
トロントに知り合いのマフィアボスがいる。
昔同じ孤児院にいた。
ロシュトーは馬鹿にしているけど、裏の情報量は警察以上だ。
それはいいとして、耕三、拳銃を使えるか?」
「いや」 

アランは隣の部屋から重そうなバッグとチョッキを持ってきて床の上に置いた。
中には、大小様々な拳銃、自動小銃が入っていた。

「耕三は軽いグロック17がいいだろう。
これは引き金を絞らない限り安全装置が解除されない」
「待て。
難しいことを言うな。
銃が必要なのか?」
「俺と交互でロシュトーをガードするんだ。
殺し屋がこの部屋に押し入って来たらどうする?
丸腰じゃ来ないだろうからな」 

銃を受け取った。
思っていたほど重くない。

「重さ、約六〇〇gちょっと。
部品にプラスチックが多く使われているから軽い。
昔は、空港のX線探知機も感知できなかった。
引き金を絞らなけれ、、」
「ちょっと待った。
もう少し分かりやすく言ってくれ」
「この引き金に指を添えない限り暴発の心配はない、
ってことだが、
なぜか暴発事故は起きてる。
なぜだか分かる?」
「アラン先生、分らないよ」 
「耕三君、いい。
ホルスターから引き出す時に反射的に触って暴発するんだ。
人為的なミスなんだ」

ロシュトーが俺たちのやりとりに一瞬、にたっ、と笑った。
先程の笑いといい、今まで、心底から笑ったことがあるのだろうか。

「耕三のは引き金の重力を少し重くしてるからその点は心配いらない。
その重さに慣れてくれ」
「ロシュトーは?」
 
アランは目と眉毛の間隔を広げ、両手の平を上に心持ち挙げた。

「必要ないらしい」
「経験から言わしてもらえば、
狙われていたら逃れるのは無理だ。
自信があるから警告してきた。
それなりの人間を送り込んだってことだ」
「ここに踏み込まれたらどうする。
丸腰じゃあ俺たちにも危険が及ぶってことだ」
「巻き添えか、、、?
ああ、そこまでは考えてなかったな、、、、。
アラン、ベレッタはあるか」
「イタリア製じゃないけど、ベレッタUSA・M21Aがある」
「それでいい」
「よし、じゃあ耕三は銃の練習が必要だな。
明日やろう。
手配しとく。
それからこの部屋に8か所、スミス&ウェスタンM36・チーフスペシャルを隠してある。
確実に作動するという点でリボルバーにした。
安全装置はかかってない。
気をつけてくれ。
引き金を引けば弾が出る。
キッチンに2か所、あそこのキャビネット横とシンクの下。
居間のテレビ横のプラントの後。
ステレオ・スピーカー横。
トイレ便器の裏。
それに自分たちの部屋ドア脇の額縁の裏に一丁ずつ。
場所を覚えて後で確認しといてくれよ。
部屋は、ロシュトーの部屋と居間を挟んで、
耕三は右、俺は左を使う。
もう一つ、防弾チョッキがある。
鋼鉄の10倍近い強度があるスペクトラ繊維というのでできてる。
ライフル、マグナムなどは無理だが中枢器官を通常の弾薬からは守ってくれる。
耕三はなるべく着用するようにしてくれ。
ロシュトーにはこれより優れたチョッキを着てもらいたいんだが嫌なんだよね」
「、、、」
「分った、以上」
「それにしてもいい眺めだな。
正面は公園か?」

アランが席を立って前方を指差した。

「バニアパークって名だ。
左の建物がバンクーバ博物館、右が海洋博物館だ」

ロシュトーの部屋は、居間を含め四部屋ともイングリッシュ湾に面していた。
約400m先にバニアパークが見えた。
イングリッシュ湾の南岸はキッラノとも呼ばれヤッピーが多く住んでいた。
特にW4丁沿いには、エスニックレストランや流行に敏感な店が並んでいた。

翌早朝、俺はアランの知人の指導で銃の練習に行った。

ハラード橋たもとのアクアティクセンター脇で高速ボートに乗り、
バンクーバ・アイランドとの中間地点の洋上で、
グロック17とスミス&ウェスタンM36チーフスペシャル、2丁の拳銃を練習した。
自然体で構える、
実戦では照準サイトを使わず標的をエリアで捕捉する、
と教わった。

それから二日が無事過ぎた。
その夜、出前のピザを食べた後、アランが嬉しそうに言った。
「明日、娘のモモの誕生日なんで午後ウィスラーに一旦戻るよ。
明け方早く戻ってくる。
帰りにしこたま食料品を買ってくる」
「日本から何か買ってくるんだったな。
何歳になった」
「3歳だ。
3人で行けたらマコトも喜ぶんだが」

ロシュトーが紙包みを持ってき珍しく神妙な顔付きで言った。
「モモにあげてくれ。
マコトには今回のことを言わないでくれ」

アランは5年前、日本人の留学生、坂本マコトと結婚した。
ガスタウンで3人のチンピラに絡まれている彼女を救ったのが出会いだった。
意志の強い、聡明な女性で、3歳になる一人娘、モモがいて暖かな家庭を作っていた。
彼らの住居はウィスラーにあったが、
ガスタウン(バンクーバー)に探偵事務所を持っていた。
裏組織に知人が多かったので仕事は繁盛していた。
今でもカレン族に全収入の数%を送金していた。

「耕三、明日は頼む。
一歩も外に出ないようにな。
一応、このビル前に一人、張り付けとくよ。
この紙にそいつの携帯を書いておくから何かあったら呼んでくれ。
名前はぺぺ。
マフィアじゃない。
元警官で頼りになる男だ。
それから出前はこのリストの中から選んでくれ。
同じ人間が運んでくるように言ってな」
「誕生プレゼント、モモに何か買っといてくれよ」
「マコトが変に勘繰るから、耕三が来てることまだ言ってないんだよ」
「頼むよ。
俺の名はいいからお前からということで」 




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genre : 小説・文学

下:4キャラメル 狙撃このエントリをはてなブックマークに登録

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4:狙撃 



9時半、男はバンクーバ博物館脇を通って、対岸、約422m先にある標的の部屋が見渡せる場所に着いた。
いつものようにマルセイユの代理人が、
地元マフィアの助手を用意していたので、
ここまで仕事はスムーズに運んでいた。

強化プラスチックケースからマクミラン社のM86SRを取り出した。
時間をかけて組み立てた。
命中精度を高めるため発射時のガス圧を100% 利用できるように加工した、7.62×51mmライフル弾を薬室に納めてチャンスを窺った。

マルセイユにいる代理人を通して今回の依頼がきた。
男は19のとき、平和ぼけした日本に嫌気が差し、外人部隊に入ろうと仏へ渡った。
現在、38歳、13年余りをアフリカで過ごした。
この仕事を始めてまだ5年にも満たなかったが、
既に殺し屋として世界で5指に入る腕前を持っていた。
特に狙撃手として外人部隊では伝説的な人物で、1500m先の標的を1インチの誤差で狙い撃ちすることができた。
男はその噂を嫌い、ある日、忽然とアフリカから姿を消した。

風は無風に近かったが、
対岸422m先の標的まで海上を飛行するので、秒速数mの北西の風を考慮した。
距離があったので的を数インチ外すだけで加工弾といえども即死は不可能だった。
依頼人は、標的の即死を第一条件に挙げていた。

ここまで二週間以上が経っていた。
最初の一週間は、数種類の狙撃銃の選択、
およびポイント修正に費やした。
気象条件が同じバンクーバ・アイランド・デュークポイントで試し撃ちをしていた。
試行錯誤の結果、狙撃スコープはレオポルド社のM3、
狙撃銃は500m先まで狙い撃ち可能なM86SRに落ち着いた。
この十日余りは気象条件との闘いだった。
デュークポイントで試射に成功した時と同じ、風、湿気、空気が絶対条件だった。
それらの感覚を、指、体に覚え込ませた。
雨、風がある日、以外、毎日ここに来ては腹這いの姿勢で狙撃チャンスを窺っていた。
ここまで運がなかった。
周囲の目があったのでなるべく早く片を付けたかったが、忍耐強くなじみの風を待つしかなかった。

日本レストランから助手がテイクアウトしてきた太巻き寿司と緑茶が入ったポットを紙バッグから取り出した。
長丁場になるとき、この二つは必需品だった。
アフリカでも緑茶は手に入ったが日本のものには到底、及ばなかった。
外人部隊を除隊して仏に戻った時、日本レストランで飲んだお茶の旨さに目覚めた。
それまで日本人だと自覚したことが無かったので、
改めて自分のアイデンティティを認識した。
以来、一日、20杯以上、月にして約800g以上のお茶を飲んでいた。
もうそれなしでは生きていけなかった。

しかし、今ポットの中にあるのはティーバッグのお茶だ。
不味さに放り投げた。
ここで手に入る最高級の緑茶を選べ、とあれだけ口酸っぱく言っておいたのに。
助手の不手際に腹が立った。

落ち着こうと太巻きに神経を集中して頬張った。
手に米粒が付いた。
紙バッグを空けた。
日本製の湿ったティシュが入っているとばかり思っていたのに、
手術用の手袋しかない。
非常時だ。
引き金にかかる指の感触を手袋では感じ取ることができない。
指示したとおりにやっていない助手にまた怒りが込み上げてきた。
太巻きまで不味くなってきたので辺りに放り投げた。
駄目だ。
こんな乱れた気持では遂行できない。

仰向けのまま夜空を見上げた。

30分後、海水で手を洗った後ポットの湯をかけた。
怒りは納まったが手の感触は戻ってこなかった。
水道の蛇口を求めて博物館に向かった。
手を水で洗えなかったら中止するつもりでいた。
トイレに蛇口があった。

時間を食ってしまった。
もう11時過ぎだ。
標的は毎夜1時頃まで居間で酒を飲むのが日課だった。
この2、3日、見知らぬ男が隣の部屋にいた。
もう一人の男が見えない。
幸い標的はいつものように窓脇ソファに座わっていたので、首から上を確認することができた。

後頭部、真ん中に照準を定めて約1時間近くが過ぎた。
標的の頭の揺れの間隔を計るのが習慣になっていた。
グラスにアルコールを注いでいるのだろう、頭が約20分おきに見え隠れした。
それから20秒ほど少し揺らいで止まった。
4、5五分後にまたかすかに揺れた。
その繰り返しだった。
グラスに注いでしばらくして頭の揺れが止まる60秒後から120秒の間に、
なじみの風が吹くことを祈って引き金に指をかけて待った。

その風はなかなか来なかった。

もう12時40分を過ぎていた。
今夜もチャンスは後一回あるかどうかだ。
ほどなく標的の頭の揺れが止まって1分半が過ぎた。
最後のチャンスだ。
諦めかけた時、一瞬なじみの風が引き金の指と左頬を舐めた。
男は無意識に引き金を絞っていた。 

標的が倒れたのを確認して銃をケースにしまった。
海洋博物館の浅瀬で係留している高速ボートに足早に向かった。

助手がボートを出して10分後、鳩尾に蹴りを4発入れた。
助手が泡を吹いている横で、ケースから狙撃銃を取り出して分解しながら海へ投げ入れた。


”ビシッ”という音が居間から聞こえてきた時、時差ボケでベッド上にいた。
ロシュトーは口を半開きにしてソファに頭をもたれて座っていた。
首の少し上の後頭部から血が溢れ瞬く間にソファを染めていった。
もう脈はなかった。

ペペを呼び出した。
「ロシュトーが狙撃された!
弾丸はバニアパークから飛んできたとしか考えられない!
すぐ行って不審者、車がないか調べてくれ。
ライフルを隠す何か持ってるはずだ!」
「分かった!」 

アランに電話をした。
既にスタンレーパークに達していた。 
10数分後、息を切らして部屋に入ってきた。
俺たちは顔を見合わせる以外何もできなかった。
アランが、ロシュトーの座っているソファから右70度の角度で壁にめりこんでいる無傷の弾丸を見つけた。
窓ガラスを貫通してロシュトーの後頭部を抜けたのだ。
「距離があって速度が落ちてたんで後頭部を貫通したのに無傷だ」

警察が来て一通りの調べをした後、司法解剖のためロシュトーの遺体を運んでいった。
彼らの態度には熱心さは見られなかった。

ペペが戻ってきた。
「駄目だった。
車、人、皆無だ。
わずかの差だったと思うが。
彼は?」
俺は首を振った
「博物館脇の対岸にこの部屋を見渡せる所があった。
狙った奴は腹這いになってたんだろう。
ライフルを支える脚の穴と草が倒れている箇所があった。
それからこれだ!」
ぺぺは、胸ポケットから煙草の空箱を取り出した。
中に奇妙なものがあった。
「紅茶の紙バッグ?
何だこの黒いのは?
ライスが付いてる。
海苔のようだ。
このにおいは緑茶だ。
この黒いのは海苔だ。
巻寿司か手巻きか?」
「くまなく辺りを調べたが発見できたのはこれぐらいだ。
パトカーのサイレンが聞こえてきたんでおさらばしたが、この他は何も出てこないと思うよ、日中でも。
紙バッグはまだ湿っぽいし、ライスもシーウィード(海苔)もまだ軟らかいから犯人が置いていったのは間違いないと思うけどね」
「寿司と緑茶。
嫌な組み合わせだな。
殺し屋は日本人っぽいな」
「アラン、この二つ持ってきてよかったかな?
警察に渡すべきだったか?」
「いや、渡しても何もできゃしないし、やらないさ。
ペペ、今夜はありがとう」

4、500m先にある標的を狙撃できる殺し屋は、この世界にどのくらいいるのだろう?

アランは殺し屋の情報を得ようとカルロスに頼んだ。
「狙撃した場所にグリーンティー(緑茶)の紙バッグとシーウィードの付いた寿司があったんだ。
その関連も調べてほしい」
「アラン、この手の殺し屋を突き止めるのは難しいぞ。
そのつもりでな」 


男は早朝5時過ぎシアトル港に着いた。
カフェテリアに入って公衆電話からある番号を押した。
「3時間前に終わった」

男の相手はマルセイユの代理人だった。
代理人は国際電話を掛けて留守電に「3時間前に終わった」と告げた。 

留守電話の主は、一月前に着任したばかりの駐カナダ仏大使、レジナルド・ダリだった。

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5・手紙



3日後、パソコン机の引き出しから手紙が出てきた。

《アラン、耕三、奇妙な出会いだった。
この歳になるまで一時期、思想で繋がった同士はいたが友達と呼べる人間は存在しなかった。
あんたたちと出会わなかったら、その大切さ、素晴らしさを知らずに死んでいくとこだった。
まずそれに感謝したい。
もう少し早く出会えたらと思うがそれは言わないことにしよう。
俺は道を誤ったとは思っていないが取り返しのつかないことをしでかしたのは事実だ。
世界の流れに鈍感だった。
マルクス・レーニン、アナキズム(無政府主義)の思想に酔った。
社会の変革が必要だと信じていた。
独り善がりの思想を他の人々に押しつけようとした。
社会、世界は俺を置き去りにしてどんどん走り去っていった。
 
父は戦時中、仏に亡命していたドイツ共産党員だった。
彼はスイス人実業家になりすましてドイツ軍内の反ナチ分子の組織化に努めた。
皮肉なことに戦後10数年もたって、逆にナチスパイ容疑をかけられ、失意のうちに俺が6歳の時、病死した。
仲間の裏切りと母の父親の存在が背景にあった。
 
戦後、仏共産党員だった父の仲間はナチスパイ容疑をでっち上げた。
仏駐留ドイツ軍、数百人の脱走に成功し、一部は抵抗組織に入ってドイツ軍と戦うまでに組織化した父の手柄を横取りした。占領時、ドイツ傀儡政府に尻尾を振っていた人間までもが戦後、父を糾弾した。
 
母の父親は哲学者で知識人だった。
ドイツ軍協力者として有名な人物で、仏中部の小さな温泉町、ビシーに置かれたドイツ傀儡政府で要職を勤めたほどだ。
母方の身内にも多くのドイツ軍協力者がいた。
パリ解放当時、妹、二人は群衆に頭を剃られてパリ中を引き摺り回されたぐらいだ。
 
彼女は家で唯一ナチスに抵抗した立派な女(ひと)だった。
絵描きだった。
しかし、父の死後、彼女の人間性までもが変わってしまった。
自分の気に食わないことなど最初は取るに足らない生活上の細々としたものだったが、やがて、政治、社会、すべてを否定するようになっていった。
キャンバス前に座ることはもうなかった。

俺が寝るとき彼女はいつも自作の子守を歌ってくれたよ。
内容は適当に変わるが、大体こんな調子だ。

何も恐れるものはない。
やみくもに突っ走れ。
みんな長いものに巻かれてふらふら気が変わる。
自分さえよけりゃあいいの。
まともな人間なんてこの世にいやしない。
もうあの世で嘲り笑ってる。
この世は屑だ、ゴミだ。
壊せ、社会を!
葬れ、国を!
目障りなものをすべて砕いて悪魔に捧げろ。
何も恐れるものはない。
さあ、壊せ!
粉々にして、自由!
自由になるんだ!

当時は何も感じなかったがひどい内容だ。
俺は子供心に彼女の言葉を信じて育った。

11の時、精神病院に入れられた。
やがて狂い死にした。
俺は元ナチ協力者だった祖父の元に預けられた。
彼は完全に俺を無視した。
声をかけることも、俺を見ることさえしなかった。
俺は透明人間だった。
彼も狂っていたがそれ以上に母の妹たちはひどかった。
「戦後、私たちがひどい目に遭ったのはお前の両親のせいだ」
と口汚く罵られ、いつも彼女らに殴られた。

大きくなるにつれ、ナチス協力者、ナチスパイという言葉が、頻繁に周りで聞こえてきた。
少年期、思春期、内でも外でもことあるごとに除け者にされて俺はいつも独りぼっちだった。

唯一の友達は、まだ正気だった頃の母がクリスマスにプレゼントしてくれた犬のシルビーだけだった。
登校している間を除いて、毎日、何年も片時も離れず二人だけで過ごした。
初めの頃は一方的にシルビーに話しかけて自分を慰めていた。
そのうち彼女の目を見て、何を考えているのか、何をしたいのか、手に取るように理解できるのに気づいた。
こんなこと書くと笑うだろうな。
正直、誰にも打ち明けたことがない俺の秘密だ。
14年も向き合っていると分かるようになる。
楽しいときは一緒に喜び、悲しければ慰め合い、苦しいときはそれを分かち合おうとする。

俺が家にいないとき、妹たちがシルビーをどう扱っていたのか、彼女の世話を頼んでおいた使用人から聞かされていた。

石を投げ、彼女の食事を捨て、画鋲を彼女の遊び場、寝床に置くのはいつものことで、大きな犬をけしかけたり、水を入れたドラム缶に投げ入れて蓋をして溺死させようとしてたらしい。

俺は20のとき大学の寮で寄宿生活をしていた。
そのとき、シルビーは15歳だった。
もう足は弱く、歩くことはままならなかった。
その彼女を、彼らは首輪に縄をかけて車の後部バンバーに縛り付けてドライブに出た。
「シルビーには少し運動が必要よ」と抵抗する使用人に抜かしたそうだ。

その夜、知らせを受けて駆けつけた時、彼女は既に埋められていた。
掘り起こしてみると首と足が無かった。
体は今にもちぎれそうで倍以上に伸びていた。
かろうじて皮で繋がっている状態だ。
狂ったように首を探した。
明け方過ぎ、家から2kほど離れた道路脇に、粗くミンチされた肉の塊があった。

右目だけ無傷だった。
それを手に取ったとき、いきなり目が開いたんだ。
信じられないだろう。
びっくりした。
そして、言った。
「ジャン、彼女らに何もしてはいけない。
忘れるんだよ。
私はいつあの世に行ってもおかしくない歳だったの。
それが少し早く来ただけ。
ジャン、約束よ!
何もしないって!」

俺が彼等をどうしたと思う。
すぐにでも殺すつもりだったが6か月待つことにした。
冷静に考えた。
悪魔を殺して捕まったんじゃあ割に合わないってな。

彼らは母屋の外れに住んでいた。
丁度6か月たった真夜中、車で往復、7時間かけて彼女らを焼きに行った。
そのアリバイ作りを手伝ってくれたのが、同じ大学の学生でADメンバーだった。
彼がADのメンバーなんて知らなかった。
これがADに入ったそもそもの動機だ。
秘密を握られた。
だが、居心地は思ったより良かった。
初めて俺に偏見を持たない同世代の人間と対等に付き合うことができたんでな。

おっと話が逸れた。
翌朝、刑事が訪ねてきた。
叔母さんが不審火で焼死した、と言った。
心底笑いたかったが、悲しい顔をしてやった。

これがほんの一昔前の俺の姿だ。
今もたいして変わってはいないが、あんたたちを知って楽になったというのが偽らざる心境だ。
改めて感謝したい。

ここに来て、警察に発見される恐怖、社会への批判、憤り、それらから初めて解放されて平和な生活を送ることができた。
この2年余り、自己を見つめて生きることの大切さを知った。
俺は人を人とも思わない傲慢な人間だった。
自分自身を愛する、ということの大切さを知らなかった人間だ。
それが他人への思いやり、愛へと繋がる最初の一歩だということを今まで知らなかった。

どういうわけか、その母方の家族から服役中に遺産が転がりこんできた。
罪滅ぼしのつもりだろうか、もう余命いくばくもない人間に送ってくるなんて、、、。
祖父、二人の叔母は既に亡く、、、、。
俺が殺したんだったな。
系図では俺しか残っていないそうだ。
こんな家系は絶えて当然だ。

弁護士に遺言状を送ってある。
住所は下に書いてあるから彼に会ってほしい。
少し二人にやってもらいたいことがあるんだ。
どうかお願いする。

それからレジナルドのことだが、おもしろいことに彼のお祖父さんも、ビシー傀儡政府の要職に就いていたらしい。
しかも噂では、祖父よりナチス崇拝者だったということだ。
しかし、彼の家は戦後ナチスを糾弾する側にうまく立ち回って、ナチス協力者のレッテルを貼られることはなかったらしい。
皮肉なもんだ。
俺と立場が逆転していてもおかしくないなんてな。

こんな形で別れるのは本意ではないが、どこか救われた気持もある。
許してくれ。
最初あんたたちと出会ったとき、何を話していいのか、どう対処していいのか途方に暮れた。
友達と呼ぶと、あんたたちは嫌な顔をするかもしれんが、ありがとう。
いい歳をして恥ずかしいが、、、こんな気持になるのは生まれて初めてなんだ。
信じちゃあくれないだろうが、、、。


二日後、俺たちは弁護士を訪ねた。
俺たちの身元を確認すると一通の封書を差し出した。

《下記の銀行に預けてある約$百万余りの遺産を、均等に分けて手紙のリストの家族に送ってほしい。
但し、ジャン・メルク・トトの名前は伏せてほしい。
その仕事の報酬というわけではないが、二人に$5万ずつ用意してある。
弁護士に渡してあるので、どうか俺の感謝の気持だと思って受け取ってくれ。 

耕三、結局こういう形でしか償いができない。
許してくれ。

生き続けて、人のために何か有意義なことをしたかった。
人が喜ぶ姿を見たかった。
感謝されたかった。
だが、今の俺は、酒を食らって酔うことぐらいしかできない。
この50年余りの人生で染みついた垢を落とすことができないでいる俺に、180度違うことをやるには荷が重すぎる。
 
現在の俺の心境を言わしてもらえば、きれいさっぱりこの世とはおさらばしたい。
AD・革命細胞、元メンバー、ジャン・メルク・トトとは、この世限りでおさらばしたい。
仮に来世があるのなら、今の心境を出発点として生まれ変われたら、と切に祈る。

「ジャン、彼女らに何もしてはいけない。
忘れるんだよ」

この10年近く、シルビーの最後の言葉をいつも思い浮かべていた。 
あのときはできなかった。
だが、今の自分ならシルビーの言葉に従える。
あの世では同じ過ちを犯さないと約束するよ。

      ロシュトー
  

「表向き、ジャンは約百万$の遺産を相続したことになっていますが、実際は約2百万$を少し超えていました。
相続時に、匿名で約百万$をユネスコに寄付しています」



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6:復讐 

「ボスの指図で当たってみたが、殺しの真相を知るには無理があるということだけは理解してくれ。
分かったことだけを読み上げる。
断っておくが、殺し屋、代理人、依頼人の名前は明かせない」
「頼む」
「最近マルセイユのある代理人をとおして殺し屋がバンクーバに来ていた。
世界でも五指に入る殺し屋だ。
標的は元テロリスト。
依頼があったのは約3か月前。
依頼人は仏外務省筋の人間らしい、、」
「依頼人の情報をもう少し知りたい」
「表に出せるのはこれだけだ」
「ほんの少し前、レジナルド・ダリを調べてくれるように頼んだのを覚えてるか。
最近カナダ大使になった」
「アラン、俺はカルロスの指図で動いてるだけだ。
彼の許可なしではこれ以上言えない」
「標的がテロリスト。
依頼人は仏外務省筋。
もう少し教えてくれないか」
「、、、、、これから言うことは聞き流してくれよ。
依頼人は最近、米大陸のどこかの国の大使になったという噂だ」
「ありがとう。
それから、殺し屋と緑茶とシーウィード(海苔)の付いた寿司との関連は何か分かった?」
「ノー」
「なんとか頼むよ。
もしかして殺し屋は東洋系、日本人の可能性があると思う」
「世話が焼けるぜ。
一応当たってみるが期待はしなさんな」
「ありがとう。
カルロスによろしく言っとていくれ。
それからもう一つ。
レジナルドの近々の予定と彼の交友関係も調べてほしい。
特定のボーイフレンドがいればそいつのことも知りたい。
おっと忘れるとこだった!
レジナルドの顔写真も」
「、、、、依頼人はその男だと言った覚えはないが」
「依頼人の件とは別だ。
頼むよ」
「彼の顔写真はインターネットで見れるよ」 

アランは仏が任命した米大陸大使の着任日をインターネットで調べた。
この1年で大使が代わっていたのは、着任して2か月にも満たない仏駐カナダ大使だけだった。

仏駐カナダ大使、レジナルド・ダリの顔写真をプリントアウトした。
ふくよかな柔和な顔をしていた。
顔のパーツ毎に落差が激しかったがうまくバランスを保っていた。
間隔が開き加減の目は射るような冷たさで、それを丸い鼻が隠していた。
左口元の下がり加減に見られる傲慢さをたるんだ顎がコミカルに見せていた。 
意図的にそう見せているような周到さ、不自然さを感じた。

数時間後、珍しくカルロスから電話があった。
「アラン、殺し屋の件は忘れてくれ。
いいな。
忘れるんだ!」
「何かあった?」
「バンクーバーの同業者が代理人に頼まれこっちで殺し屋のお膳立てをした。
その殺し屋は同業者にとって大事な人間ってことだ。
俺はその同業者に借りがある。
忘れろ!
アラン、いいな」

それから一週間余り、ウィスラーのアランの家で過ごした。
モモの相手、マウンテンバイク、マコトの買い物、何をするでもなく時が来るのを待っていた。
レジナルドに復讐する時が来るのを。

俺たちの気持ちはレジナルドが黒幕だと分かった時点で既に決まっていた。
ロシュトーを殺してまでも守ろうとした彼の将来、野心を粉々に打ち砕くつもりだった。
失敗は許されなかった。
ロシュトーの友人関係を調べて俺たちを割り出す可能性もあった。
ロシュトーの背後に潜む事実関係を俺たちが知っていると推測して、殺そうとするかもしれない。
下手するとマコト、モモも、、、。

数日後、情報屋からガスタウンのアランの事務所に電話が入った。
「仏大使は2週間後の5月6日、木曜日、ワシントン・DCへ行く。
就任挨拶のためだ。
中国首相来日など米政府の都合で延び延びになっていたらしい。
それから5月9日までは予定なし。
どこへ行くかは想像がつく。
NYにコンドミニアムを持っている。
月に2回、第2,第4の週末は必ずそこだ。
ボーイフレンドに会いにな。
コンドの住所を知りたいか」
「頼むよ」
「350・W・14ST.#909号。
Tel×××××××。
建物の名はヴィレツジ・ポンイト(Village.Point)コンド形式のア パートだ。
ドアマンはいない。
ついでにボーイフレンドはヴィレッジのハドソン通りに住んでる。
名前はクリストファ・リー、NY大の学生だ。
歳は22。
専攻は映像。
住所は、513・ハドソン通り(Houdson ST)#706。
W10丁とクリストファー通りの間、Tel×××××××」
「クリストファー・リーは中国人か?」
「ベトナム系のな」
「ボーイフレンドの住所まで調べてくれたのか。
ありがとう。
どんなことでもいい、彼をもう少し調べてくれないかな。
来週あたり電話するから分かったことだけでいい。
それに写真も」
「アラン、一つが終わればもう一つ。
切りがないな。
カルロスの命令だからやってやるよ」
「どうせ、パソコンの前に座ってるだけだろう」
「それがどれだけ苦痛か分からないだろうな」
「恩に着るよ。
カルロスは今何処に?」
「知らんな。
電話してみな」
「名前教えてよ。
これからまだ頼むことがありそうだから」
「まだあるのか。
恐いな。
俺の名はラッキーワンだ」
「変な名だな」
「余計なお世話だ」 

アランはカルロスの携帯に電話した。
「誰だ?」
「カルロス、どうしても頼みたいことがある。
どこに電話したらいい」
「この番号に30分後。×××××××」 

アランは事務所を出て向かいのバーに向かった。
「NYで2万$分のコカインを手に入れたい。
誰か紹介してほしい」
「お前は何を考えてる!
殺し屋に今度はコカイン!
俺に分かるように説明しろ。
でなきゃあ駄目だ」
「殺されたロシュトーは俺の数少ない友達だった。
それを仕組んだ奴に復讐をしたい。
彼はテロリストだったけど俺と同じ孤独な生き方をしてきた。
親父はナチスパイの容疑をかけられ病死、母親は狂い死に。
子どもの頃からナチ呼ばわりされ除け者にされ、まわりは敵ばっかりで誰一人、友達も身内もいなかった。
俺と同じなんだ。
殺しを仕組んだ奴はロシュトーを利用して出世した。
邪魔になって殺した。
許せない」
「どうする気だ」
「そいつの野心を潰す。
取り敢えず2万$分のコカインとデートドラッグ(記憶を無くさせる睡眠薬が入った薬)10錠ぐらいほしい」
「期限は?」
「5月4日、火曜日に受け取れたらベストなんだけど」
「NYでほしいのか」
「うん」
「希望する場所は?」
「ないよ。
向こうに決めてもらっていい」
「3日、夜10時、電話をくれるか」
 
一週間後に動いた。
アランは仕事で何度もNYに行ったことがあった。
俺も昔いたことがあったので土地勘があった。
だが昔の友達とは会いたくなかったので工作が必要だった。

マコトは何も言わなかったが、彼女なりに察していたようだ。
「明日から2週間留守にする。
ロシュトーを殺した犯人に復讐をする」
 落ち着いた声でマコトが聞いた。
「誰が殺したのか分かってるのね」
「カナダ駐在仏大使だ。
自分の将来のために邪魔になったロシュトーを殺した」
「どうしてもやるのね」 
彼女が俺を見た。
「殺しはしないよ。
蹴落とすだけさ」
「ロシュトーが復讐を頼んだの?」
「彼はそんなことを頼むような人間じゃない。
むしろ逆だろうね。
マコト、殺しはしない。
しがみついてるものを壊してやるだけだ。
アランは十日ぐらいで無事帰す。
約束するよ」
「そんなことをして何になるの。
放っておくことはできないの。
もうロシュトーはいないのよ。
彼が復讐を望んでると思う?
友達を危険な目に遭わせたいと」
「俺たちの結論はもう出てる。
これから先どこまで上に昇進するかは知らないが、仮に今以上の権力を握ったらどうなると思う。
簡単に殺し屋を雇うような人間なんだ。
目障りな人間をまた排除しようとしないだろうか」
「耕三、先のことは分からないわ。
彼もあなたたちに復讐を企てるかもよ。
こんなのどこかで断ち切らないといけないのよ。
そうじゃないと前に進めないわ、、、、。
もう何を言っても駄目なようね」

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7:NY



4月30日、金曜、午後4半時、NYラガーディア空港に降り立った。
タクシーでヴィレッジ・ポイントに向かった。
一週間以上の滞在を条件に、旅行者用に3部屋が貸し出されていた。
運良く、その一室をバンクーバで2週間予約することができた。
もちろん偽名だ。
アランがトム・スコット、俺がマーク・アンソニー、日系二世。カルロスが本物のパスポート、免許証、を用意してくれた。


5種類のカツラを持ってきていた。
ラガーディア空港のトイレで変装した。
アランは小さめの横長の眼鏡に口髭と顎髯を付けた。
俺は丸眼鏡をかけて、真中が禿げたカツラを被った。
これがNY滞在中、俺たちの基本スタイルになる。
万が一、友達に出会っても分からないだろう。 

部屋は11階の1104号室だった。
出入り口を見渡せる部屋を頼んでみたが、残念ながら空き部屋は他に無かった。
アランがレジナルドのコンド、909号との位置関係を探りに9階へ行った。

「耕三、あの部屋だよ」
アランが指差した部屋は、大きな銀杏の木がある中庭の約30m先にあった。
2階下の斜め右約40度の角度にあった。
カーテン越しにテレビとソファが見える、居間のようだ。

「ここからあんなに見えるんじゃあ、向こうからも見えるってことだよ。
この部屋とここら周辺では、この変装は絶対条件だよ」
「アラン、お前、ランボーのスターロンに見えるんだよな。
目立つよ。
髪、サラリーマン風に切ってやろうか」
「カツラ付けるにはちょっと長いんで頼むかな。
腕前は?」
「自慢じゃないが床屋にはもう20年近く行ってない」

30分後、シャワー室から角刈りのランボーになったアランが、俺を呪い殺しそうな顔付きで出てきた。

「自然な顔をしろよ」

駄目だ、顔から凄味が抜けない。
俺が掛けていた丸い黒ぶちの眼鏡を掛けてみた。
どじで間抜けなサラリーマン・ランボーとスーパーマンのクラーク・ケントを足して2で割った感じだ。
これでもさっきよりはいい。

909号室の明かりが点灯した。
俺たちは身を沈めた。

アランが窓枠をスクリーンに、909をしばらく窺っていた。

「人がいる。
若い。
彼じゃない。
あれがボーイフレンドのクリストファ・リーかな。
写真がほしいな。
耕三、情報屋に電話して来るよ」

記録はできるだけ消しておきたかった。
携帯は二人の連絡の時だけにした。
それ以外は公衆電話だ。

運良く向かいの軽食堂の中にクレジットカードも使えるボックス型の公衆電話があった。
カードから足が付く危険を犯したくなかった。
硬貨を使った。

「ラッキーワン、クリストファー・リーの顔写真がほしい。
それと、何か情報があったら」
「俺のe-mailにアクセスしてくれ?########。
30分後に」
「OK。
レジナルドがNYにいる可能性は?」
「、、レジナルド?
この前も言ったが、依頼人は彼だと言った覚えはないぞ」
「分ってる。
可能性だけ」
「、、俺の情報では今週は第一だからネガティブだ」
「分かった。
じゃあ30分後に」 

間違いなかった。
部屋にいたのは彼だった。
リーはハンサムな顔立ちをしていたが、全体がまとまりすぎていた。
これといった特徴が見当たらない。
面長で額の真中に米粒ほどの黒子が二つあった。

『クリストファー・リー、22歳。170cm、55kg。
祖父は元ベトナム軍大佐。
仏軍とともにベトミンと戦う。
その功績により1953年、一家は仏移住。
父親は7年前に病死。
仏人の母親は再婚、以来、彼との接触はない』
 
ベトミン:
(ベトナム独立同盟。1941年ホーチミンが中心となって結成した民族統一戦線組織)

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8:ブルース・リー


「リーはテレビ坊やだね。
よく見れるよ、何時間も」
「誰かと待ち合わせしているのかそれとも週末はこっちに泊まるのかな」
「909の電話に盗聴器を仕掛けよう」
「どうやって?」
「俺は探偵。元は悪。
どんな鍵だって朝飯前さ」
「聞いてて良かった」 

夜中の1時過ぎ、リーがソファから立ち上がった。
数分後、明かりが消えた。
他の部屋の明かりは点かなかった。
「アラン、リーが外に出るぞ。
尾行してくる。
その間に盗聴器を仕掛けてくれ。
どのくらい時間が必要だ?」
「10分」
「やばい時は携帯で知らせる」
「耕三!カツラ!
尾行だから七・三に分けたの持ってけよ」 
「面倒なこったな」

エレベーターは下のサインを出して14階で止まっていた。

階段を駆け降りた。
カツラが取れないように右手で頭を押さえた。
隣のビルの階段下で彼が現れるのを待った。

数十秒後、リーが玄関に現れた。
彼はしばらくタクシーを待っていた。
諦めて14丁を7アベニューに向かって歩き出した。
途中、タクシーを拾った。
7アベニューを右折してダウンタウンに走り去った。 

俺はタクシーを捕まえることができなかった。

「タクシーでダウンタウン向かって走り去った。
車がなくて諦めた。
当分、大丈夫だと思う。
念のため表で見張ってるから終わったら電話くれ」

20分後、部屋で落ち合った。
「留守電付にしたのさ。
俺たちが部屋にいなくても録音される仕組み。
おもしろいもの見つけたよ。
リーはフリーベース(純度の高いコカイン)をやってるね。
間違いない」
「フリーベース?」
「茶色のアディダスバッグがあった。
その中に、ベーキングパウダー、試験管、蒸留水、アルコールランプ、煤がこびり付いたガラスのパイプがあった。
無いのは材料のコカインだけだ」
「なんだそれは?」
「ドラッグだよ。
昔、コメディアンのリチャード・プライヤーが全身火だるまになって通りを歩いてたっての知らないか。
それぐらい危険な遊びさ。
吸うとき引火しやすい。
だが効き目はすごい」
「バッグはリーのか?」
「NY大の学生証があったよ」
「レジナルドもやってるのかな?」
「それはないだろう。
こんなのやってたら馬鹿になる。
リーはレジナルドの部屋を利用してフリーベースをやってるって感じだな」

翌朝、10時、盗聴器から聞こえるリーの声で目が覚めた。

「鍵は受け取ったか?」
「ああ」
「今日の4時、シネマ・ヴィレッヂいつもの所で。
今回はグランドセントラル駅だ。
ロッカーは44」
「今回は例の彼女か」
「さあな。行ってからのお楽しみだ」
「来週の土曜は俺を外してくれてるよな。
電話もなしだよ」
「ああ、その代わり木曜にやる。
頭に入れといてくれ」
「木曜?というと6日か。
翌日は予定があるんだ。
どうしようかな」
「嫌なら頼まないよ」
「いや、やるよ!」 

909の部屋はカーテンが掛かっていた。
中の様子を窺えない。
「戻ってきてたんだな。
耕三、今のは何だと思う」
「分からない。
とにかくシネマ・ヴィレッヂに行ってみよう」
「どこにあるか知ってる?」
「ああ、昔、何度もお世話になった。
名画座って所かな。
12丁の5アベニュー辺りだ。
変装が必要だな。
アラン、今から古着と靴を買いに行こうか」

3時間後、バッグに古着を詰めて部屋に戻った。
上着はなるべく裏表兼用を選んだ。
尾行をした同じ服装で部屋に戻ってくるのを避けたかった。
アランの機転で小さく折り畳むことができて、踝まで隠れるグレー、ブラウンのビニールコートを数枚仕入れた。

「アラン、お前は汚い格好して長髪のかつらにショルダーバッグを背負えよ。
俺は繋ぎのジーパンで行くから」
「まだ部屋にいるよね。リーは中で誰かと会う。
別々に追おうか」
「そうだな。どっちを追うか今決めるか」
「後でいいよ。俺、先に行くよ。前の軽食堂で彼が出てくるのを待ってる。
4時前にシネマ近くで会おう。
そのシネマから近い地下鉄の駅は?」
「14丁かな。ユニオンスクウェアだ」
「まめに連絡するから見失わないよう。
リーの名をブルースにするよ」
「ブルース・リー?
考えすぎだよ、アラン。
相手はチャイニーズだぞ」
「耕三、楽しみも必要だろうが」 

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9:小津安二郎


NY大で、映画を専攻している中国人の友達と知り合ってコカインを知った。
好きなだけ吸わせてくれた。
二日後にはコカインの虜になっていた。
もう抜け出せなくなった頃、運び屋の仕事をやらないかと誘われた。

1年近く、月2回、約6kのコカインを運んでいた。
コカインの入ったショルダーバッグを指定されたコインロッカーに運ぶだけだ。
代償は,月20gのコカインだった。
コインロッカーは、ペンシルバニア駅、中央郵便局、
市立図書館、グランドセントラル駅、タイムズ・スクゥエア、コロンビア大学などに分散していた。

チャイナタウンには,堂(トン)とバンという、同郷の人間を守り、縄張りを仕切る相互扶助組織があった。
堂は表の自衛組織で、会員は街の有力者に限られ、その長はゴッド・ファーザーと呼ばれていた。
絶大なる力を持ち、政治、地下社会を牛耳っていた。
バンは、堂お抱えの武装組織で用心棒として問題解決に当たっていた。

NYチャイナタウンには、安良堂と協勝堂、それに150年近くの歴史を持つ洪門堂の三つの堂があった。
それぞれ、賭場を仕切り、配下のバンが縄張りを護っていた。

バンの中にはセクトがあった。
主なバンには東安バン、飛龍(フライング・ドラゴンズ)、
鬼影バン(ゴースト・シャドウズ)、
福建系の福建青年バンのほか、
ベトナム系のBTK(Born To Kill)、
台湾系のユナイテッド・バンブーなどがあった。
その他、一匹狼のバンが無数にあったので、バン内での縄張り争いは激化していた。

天安門事件後、共産中国に不安を抱いて大陸から逃げてきた中国人が多く住み着いていた。
彼らの大半は、戦後共産党教育で習った北京語を話す福建省出身者の新移民だった。
解放以前、国民党時代に大陸からNYに渡った、広東語を話す老華僑たちは、
国民党旗ではなく共産党の五星紅旗を掲げ、
建国日を10月10日ではなく10月1日の国慶節に祝う新移民の福建省人に好意を抱けないでいた。
彼等は戦前の国民党対共産党という嫌な時代を思い起こさせた。
新移民たちは旧ユダヤ人街の東ブロードウェイを居留地とし、老華僑は古き良きチャイナタウンに彼らが入ってくることを許さなかった。
世代が代わっても、国民党と共産党の代理戦争のような一触即発の危険にさらされていた。


友達の父親、童恩正(トニー・トンエンチョン)は、福建省にいた頃から地域のボスだった。
新移民の増大とともにNYチャイナタウン内でも、福建青年バンのボスとして勢力を拡大していた。
ここで働く福建人のために私設銀行を設け、本土、香港と巨大な金融ネットワークを築き上げていた。
裏で福建人の密入国ルートを持っていた。
その資金を調達できない人間には、借金の肩代わりとしてヘロインの運びを強要していた。
その一方、童恩正は安良堂のボス・陸家駿(ルーリャチュン)にヘロインと交換したコカインを定期的に無償で貢ぎ、チャイナタウン内での安全を買っていた。
二人は親しい関係を他の堂、身内のバンに知られたくなかったので、息子、その友達、親類を運び屋として利用していた。


今日のシネマ・ビィレッヂの看板は、
小津安二郎の『東京物語』と『秋刀魚の味』だった。
リーはこの大酒飲みの日本の監督の作品が大好きだった。
画面は気が狂うほどに静止し、一コマ、一コマがまるで独立した写真作品のようだ。
同じことを身の毛がよだつほど繰り返し、究極点までたどり着こうとするその狂気に震えた。
「オズの映画は無気力な映画だ」
と言ったフランシス・トリュフオー(仏映画監督)が理解できなかった。

4時5分前、切符を買って中に入った。
目が慣れるのを待った。
彼女が一番後の座席で隣の席を空けて座っていた。
数か月に一度しか会えなかったので胸が高鳴った。
初めの頃、少し上向き加減の細い顎を持った彼女が苦手だった。
何gのコカインを貰っているのか話しかけた。
怒って横を向いた。
それ以降、何を話しかけても無視された。
人を小馬鹿にしたような彼女の尖った顔立ちに魅かれていった。

「もう一年だよ。
君、名前ぐらい教えてよ。
僕はリー、クリストファー・リー。NY大の学生、、、」
「それ以上言わないで、何度も言ったでしょう!
知りたくないの!」
「君に恋をしてるんだ!
名前ぐらい教えてくれたっていいだろう」
ジーパンの上から太股を刺している蚊を見ているような目付きで、リーの顔を一瞥した。
それだけだった。
いつにもまして惨めな気持ちで、彼女の尖った横顔を見つめ続けた。

足下のショルダーバッグを蹴ってよこした。
無言で出ていった。


「今、ブルースがシネマから出てきた。一人だ。
ユニバーシティ・プレースをそっちに曲がった。
地下鉄に乗る公算大。
手ぶらだったが今は黒のショルダーバッグを背負ってる。
服装は黒ズボン、メーカーはドッカーだな。
スニーカーが凝ってるぜ。
昔流行ったナイキのマイケル・ジョーダンのツートンカラーの奴だ、、名前は,,、、忘れた。
上はカルバンクラインの青のジャンバー。
背中にCKって書いてある、、、」  
「馬鹿、ブランド名なんか言うな。
黒ズボンと青のジャンバーだな。
黒のバッグは中で貰ったのか?
相棒は?」
「耕三、ミスった。
相棒、確認できなかった。
若い女が二人、席を立ったんだが、、
どっちか分からなかったんだ」
「おまえ、中に入らなかったのか?」
「入ったさ!
切符売り場、誰もいなかったんだ!
5分後だ、、、入ったのは。
暗くて諦めた。
ミスった!」
「アランよ!
プロだろうが、おまえは?
お!来た!来た!
ブルースが見えた。
じゃな」


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10:チャイニーズ・ギャング


リーはユニオン・スクウェアで地下鉄、レキシントンアベニュー線に乗って42丁で降りた。
クランドセントラル駅一階のコンコースを通って、パークアベニュー、45丁に通じるエスカレーター下のコインロッカーに向かった。

ロッカー番号、44を開け、報酬のコカイン10g入りの紙包みを取った。
代わりに黒のショルダーバッグを入れて鍵をかけた。
指定される場所の、コインロッカーの複製された鍵は、前日か前々日、レジナルドの郵便受に届けられた。
リーは次の中継者の顔を見ることなく仕事を終えることができた。
ハドソン通りの自分の部屋を知られたくなかったので連絡場所はレジナルドのコンドを利用した。
月二回の運び屋の仕事は、レジナルドがNYに来ない週に当たっていたので好都合だった。

早く部屋に戻ってフリーベースをやろう。 


リーが44番のコインロッカーにバッグを入れたのを確認した。
その後、ベンチに座って見張っていた。
44番がある側のロッカーは壁に隠れて見えなかったが、
取り出す人間を真横から見ることができた。
リーが去って2時間後の午後7時過ぎ、
東洋系の顔をした30前後のスーツ姿の男が44番辺りのコインロッカー前に立った。
周りを気にもせず、黒ショルダーバッグを少し大きめのバッフルバッグに素早く落とした。
急ぎ足で42二丁に出ると、タクシーを拾ってダウンタウンに向かった。
男はキャナル通りで降りると、モットー通りの脇道に入ってビルに消えた。
ビル正面の看板に安良工商とあった。

909の部屋は暗かった。
盗聴テープを巻き戻した。
少し上擦ったリーの声がした。
「リュウ、あの女の名前を教えてくれよ」
「運びは上手く行ったのか」
「もちろんさ。
彼女、話しかけても知らんぷりだ。
頼むよ。
名前だけでいいから」
「しようがないな、名前だけだぞ。
斉燕(エミー・チーイェン)だ」
「ありがとう。
木曜は彼女じゃないよな」
「いいこと教えてやるよ。
彼女は臨時で三月に一回だ。
忠告だが、彼女のお祖父さんはチャイナタウンを仕切ってる恐いボスだ。
彼女には近寄らないほうがいい」
「ボスの孫がなんで運びなんか?」
「リー、あの女は忘れたほうがいいぞ」

その後、男の声が入っていた。
「リー?レジーだ。
金曜に行こうと思ったが、合衆国側の都合で木曜のパーティが流れた。
変更して木曜遅くそっちに行く。
真夜中、近くになるかな。
適当に食べもの仕入れといてくれ」


「今のはレシナルドだろう。
木曜日に来るってことはリーの運ぶ日と重なる。
アラン、面白くなってきたな。
「まず今日のことを整理しようか」
「その前に、情報屋に斉燕(エミー・チーイェン)の祖父、リュウ、安良工商、
ついでにチャイナタウンのボスのことを聞いて来ないか。
さっぱり背景が分からん」
「電話してくるよ」 

アランは向かいの軽食堂からラッキーワンに電話した。
「アランか、何だ今度は」
「NYチャイナ・タウンの情報はそっちで手に入るのか」
「入らんこともないが。
まだNYにいるのか?」
「残念ながら、そうだ」
「直に聞いたほうがいいだろう。
NYの情報屋に連絡してみるから10分後に電話くれ」
「助かるな。頼む」


「彼の名はラッキーエイト。
一応、携帯番号あげとく。
×××××××」
「ありがとう。
で、彼にはどのくらい話したらいい?
信用できるかな」
「話した分だけ情報が手に入るのを請け合う」
「金はどのくらい払ったらいい?」
「アラン、この世界はお互い様だ。
こっちも彼に情報をやる。
何もいらんよ。
電話ですましてもいいし、何処かで会うならその勘定を持つぐらいか。
そこの番号をくれ。
エイトが5分後にかける。
そこにいろよ」
「ありがとう。
ラッキーワンにラッキーエイト。
しけた名前だな」
「余計なお世話だ」


「ワンから聞いたが、何を知りたい」
「チャイナタウン内部のことを少し」
「そこは公衆電話か?」
「そうだ」
「チャイナタウンの何が知りたい?」
「安良工商、斉燕、リュウ、これらの名前とコカインの関連を知りたい」
「ほお、どうやって調べた。
カナダから来たばっかだろう」 

アランはリーの名前を伏せて、今日、見たことを彼に告げた。

「面白いのを見たな。
分かり易く説明しようか。
リュウの父親は福建青年ギャングのボス童恩正(トニー・トンエンチョン)だ。
今一番勢いがある。
斉燕の祖父は、チャイナタウン・三大ギャングの一つ安良堂のゴッドファーザーだ。
名前は陸家駿(ルーリャチュン)。
安良工商はその会社組織だと思ってくれ。
安良堂も含めて元からある三大キャングは新興の福建青年ギャングをよく思っていない」
「三大ギャングの名を教えてくれ」
「安良堂、協勝堂、洪門堂だ」
「チャイニーズの名前は覚えづらいな。
頭がおかしくなってきたよ」
「後で整理しな、いいか続けるぞ。
リュウの父親、童恩正(トニー・トンエンチョンは裏で斉燕の祖父にコカインを貢いで安全と何かのときの後ろ楯を買ってる」
「なぜそんなボスの孫が運び屋を?」
「身内、友達を使ってるとは聞いてたが孫娘まで出てくるとはな。
俺も今初めて知ったよ。
それまでして二人の関係を隠したい。
孫娘まで使うってことは、ゴッドファーザーにそれだけ信用できる部下がいないってことだ。
リュウの父親は、、」
「待ってくれ、、童恩正(トニー・トンエンチョン)のことだな?」
「そうだ。
ニュージャージー、ブルックリン、
クィーンズにチャイナタウンを作ろうとしているがこれは表向きの話で、
密かにオールドチャイナタウン内の物件を手に入れている。
安良堂のボスの助けでな。
いずれ二人はチャイナタウンを支配するつもりでいる。
今それを身内と他の二大ギャングに知れたら安良堂は内部分裂を起して崩壊するだろうな。
今のチャイナタウンは戦国時代だ」
「敵対するギャングは気づいてないのか」
「協商堂、これも三大ギャングの一つだが、系列のギャングに飛龍ってのがある。
その一派が知ってる。
飛龍の内部でまだ弱小のギャング団だ。
そのボスは好機を狙ってる。
売り込んで自分がでかくなるな」
「込み入ってるな。
その、何だった?
安良堂と福建のボスが将来チャイナタウンを支配する可能性は?」
「初めの頃は月2Kのコカインが今は3倍に増えてる。
分かるか。
欲を掻くとすべて水の泡ってことだ」




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下:11キャラメル パラディウムこのエントリをはてなブックマークに登録

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12:パラディウム


「アラン、込み入ってるな。
レジナルドに専念するか。
チャイニーズギャング、危ないぞ。
忘れよう。
レジナルドの体にコカインぶち込んで早いとこ引き上げようぜ」
「利用できないかな、、」

リーの声が盗聴器から流れた。
「リュウ、木曜の仕事、外してくれないかな。
急な用事ができた」
「お前やるって言ったばかりじゃないか。
今更なんだ!
もう手配した。
変更はできないぞ!」
「どうしても!」
「駄目だ。
どうしてもと言うならもう頼まないよ!」
「分かった!やるよ!やるから!」
「水曜午後、ロッカーの鍵を届ける。
木曜朝いつものように場所を指定する」
「待ち合わせ時間はいつものとおりの4時でいいんだな?」
「それは変更ない」


それから二日間、リーの運び屋の件をレジナルド追い落としに利用できないか、俺たちは考えていた。
その間、909の部屋にリーは現れなかった。
運びの連絡とフリーベースをやる時だけレジナルドの部屋を利用しているようだ。

妙案が浮かばないまま三日の夜になった。
午後10時前、アランはカルロスに電話するため外出した。

14丁、ユニオン・スクウェア先のアーヴィングプレースと3アベニューの間に、コン・エジソンという電力会社ビルがある。
その前にパラディウムとかいう名のコンサート会場があってその2階にビリヤード場があるらしい。
そこで明日夜8時、東側にあるトイレの中。
相手の名はチキート。
マイケル・ジョーダンのロゴが入った黒の帽子、胸にノモ(野茂)のロゴが入ったメッツのTシャツ。
それが目印だ。
ノモってのが何を意味するのか分からん。
相手にはお前の人相を教えてある。
NYのコカイン相場を知らんが、2万$で3k用意しとくらしい。
ここでは破格の値段だ。
明日、午後7時に俺の携帯に電話くれ。
変更があったら向こうから電話が来る」
「カルロス、ありがとう。
ノモは日本から来たピッチャーだよ」
「大リーガーに日本人がいるのか?」
「彼がパイオニアさ」 


4日、午後6時過ぎ、俺たちは指定されたビリヤード場へ向かった。
広いスペースに30以上の台が見えた。
壁にプロの勝負師たちの大きな顔写真が10数枚掲げてあった。
閑散としていたが、一見してプロと分かる数人が六つの台で勝負をしていた。
張りつめた空気に覆われていた。

プールをして時間を潰した。
アランが7時にカルロスに電話をかけて変更がないのを確認した。
その頃から、スキンヘッドの若者がビリヤード場に入ってきた。
酒瓶を手に騒いでプールをやっている。
プロレスラー並の体格をした管理人が数組を追い出した。

8時10分前、教えられた格好をした30前後の男が現れた。
ジョーダンの帽子は合っていたが、皮ジャンから見えるTシャッの胸のロゴが《イチロー》になっていた。

「耕三、見えるか?
ロゴが違う!
イチローになっている。
バッグも何も持ってない。
3kだぞ。
おかしくないか」
「ここで待ってろ。
俺がトイレへ行く」
「カルロスは俺の人相を相手に教えた。
俺じゃなきゃあ駄目だ。
それに《Wild  World》の歌が聞こえてこないから大丈夫 だ。
ここで待っててくれ」
「まだ危険を教えてくれるのか?」
「そのはずだ」 

トイレのドアノブに手をかけてまごついた。
鍵かかかっている。
ジョーダンの帽子、イチローのTシャツ姿の男が、後からアランの肩を2回やさしく叩いた。
鍵を振った。
手ぶらの男に続いてトイレに入った。
男は大用のドアに消えた。

どうなってんだ。
小用便器前で数十秒が過ぎた。
8時を回っていた。
キューケースを右手に持った男がトイレへ入ってきた。
俺達が来た時から賭け勝負をしていた50過ぎのプロだ。
トイレドアの鍵を内側からかけた

「チキート!」 
水の流れる音がして大用のドアが開き、先程の男が出てきた。
プロからキューケースを受け取った。
緑茶の葉っぱが喉にひっかかったような声で言った。
「お前がアランか。
すべてこの中に入ってる。
持ってきな」
「まいったな。
どうなってのか、おかしくなるとこだった。
金はこのポーチの中に入ってる」
[カルロスは元気か。
お前はあいつのダチ公だってな」
「兄貴だよ。
元気だよ。
今回はありがとう」
「外には狂ったのばっかいるから帰り気をつけな。
マリリン・マンソンとかいうネオナチ、スキンヘッドのお抱えバンドのコンサートが真夜中ある。
コカイン持っていると知ったら追っかけてくるぞ。
前もって分ってたら場所変えるんだった」

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12:スキンヘッド


3kのコカインだ。
一刻も早くビィレッヂ・ポイントの部屋へ戻りたかった。

ドア向こうの階段は、鉤十字の刺繍、イラストの入った黒ジャンバー、チョツキを素肌の上に着た、体、腕、顔に刺青をしたスキンヘッド、ネオナチの単細胞達で溢れていた。

管理人に他の出口を聞いた。
あそこしかねぇよ。

チキートが俺たちを見てやって来た。
「どうした?」
「足の踏み場もないぐらい座ってる」 

チキートが管理人に声をかけた。
「ホセ、西の出口はどうなってんだ?」
「マリリン・マンソンのコンサートの時は西の出口は東よりひでぇんで閉めてる」
「聞いたとおりだ。
蹴散らして降りろ。
ユニオン・スクウェアはここ以上に奴らが群れてるから東に向かえ。
キューケースしっかり持ってろよ。
奴ら何やるか分からんからな」

「チーノ(中国人)チーノ」嘲り笑う奴、
不機嫌な顔で睨む奴、へらへら笑っている奴、
もしジーパンを踏んづけようもんなら殺してやるって顔をした奴、それら単細胞の獣の中を目を合わせないようにして降りた。

通りはそれ以上にひどかった。
エボラウイルスに冒されたゾンビが数百人群れていた。
憎悪の目を意識しながら、寝た子を起さないよう気をつけて東に向かった。
タクシーを探したがなかなか来ない。
彼らも避けているのだ。

1アベニューまで来て、奴らがまばらになった。
ほっとした。
その虚を突かれた。
後ろから全速力で走ってきたスキンヘッドが、アランが持っていたキューケースをひったくった。
東に向かって駆けていった。
泥棒はアベニューAを右に曲がってダウンタウンに向かった。

通行人が多い。
みんな何事かと立ち止まって見ている。
ポリスが近くにいるかもしれない、諦めた方が賢明だ。
何度かアランに声をかけた。
15m先だ、届かなかった。

泥棒とアランがトンプキンス公園に消えた。

二人がもみあっていた。
上にまたがって、アランがスキンヘッドを殴っていた。
右足首、革のベルトからナイフを抜き取ろうと手を伸ばしてもがいている。
俺はナイフを奪って右太股に突き刺した。
叫び声が響いた。
人が走ってくる。

アベニューBをダウンタウンに向かって走った。
ここまで1k近く全速力で走っていた。
もう俺に余力は残っていなかった。

4丁で右に曲がって西に向かった。
20mほど行った所で前後を挟まれているのに気づいた。
スキンヘッドだ。
後に3人、前に3人。
前の二人は手にチェーンを持っている。

どうしようもなかった。
もう既にくたくただ。

「アラン、取り引きしよう。
コカイン奴らにやろう」
「おかしいな。
《Wild World》の歌が聞こえなかった」
「“Wild World”何言ってる!
のんびりとこんな時に」
「あいつら仲間がやられるのを見てたんだな。
コカインやっても見逃さないぞ?」
「どうする気だ。
馬鹿達と殺し合うか?」
「奴らは本気だ。
俺たちもそのつもりでいないとやられる。
隙があったら逃げよう。
俺は4人片づけるから、耕三は二人頼む。
あれから空手と合気道を覚えたんだろう」
「心強いこと言ってくれるよな。
お前は喧嘩慣れしてるからいいが俺は初心者だぞ。
二人も、か、、自信ないな。
息が落ち着くまで数分、時間を稼ぐ。
俺が話す。
ちょっと相手を付け上がらせるぞ」
「クールだな、耕三。
惚れ惚れするよ」 

この3年、習っている空手と合気道の成果をいつか試してみたいと思っていた。
しかし、この状況ではやばい。

喧嘩慣れしているアランの野朗は落ち着いたものだ。
奴らの着ているジーンズ、チョッキ、ジャンバーの膨れ具合をチェックしている。
「耕三、前の3人の内、両端を頼む。
右端は右ベルトの所に何か隠してるぞ。
気をつけてな」
 
前後5m程の距離で向かい合った。
リーダ格の木綿豆腐のような肌をした、やけに鼻の下の長いのが爪楊枝を口にくわえたまま毒突いた。
「パンク!
仲間をやってくれたじゃねえか!
薄汚ねえユダ公とイエロードッグが!
「お前、木枯し紋次郎、知ってるのか」
「何言ってんだ!
お前は!
コガラシ、、モン、ン、、」
「やっぱり知らないか。
その爪楊枝、真似じゃなかったの?
ジャパンじゃあかっこいいヒーローだ。
お前みたいに爪楊枝、口にくわえてさ」
「何言ってんだ!
てめえは!
よくも仲間を痛めつけてくれたな」
「木綿豆腐知ってるか?
モーメンドーフ。
ダイヤより固いのさ。
お前の肌よりはましだ。
ひどいでこぼこがあるけどな」
「何をこの野郎!!」 

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下:13キャラメル ある計画このエントリをはてなブックマークに登録

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13:ある計画


木綿豆腐の左にいたスキンヘッドが口笛を吹いた。
アベニューBの方角に、歩いて来る人達がいた。
「チェッ、ついてねえな!
おい、行くぞ!
お前たち、国に帰れ!
二度と来んな!」
西に向かって足早に去った。
10人のプエルトリコの若者だった。
一瞥しただけで、スキンヘッドの逃げた方角に歩いていった。

俺はその場にへたり込んだ。
「驚いた。間一髪だった」
「歌が聞こえなかった訳だ。
それにしても奴らはムラビみたいだ